《第一章 第9話 桜が閉じる夜に》
夜。
学園の桜並木は、昼間の賑やかさを失い、ただ静寂だけが広がっていた。
月明かりに照らされた花びらは、まるで淡い夢の欠片のように漂っている。
久遠朝臣は、一人、桜の根元に座っていた。
昼間の幻のような再会から、まだ心が覚めきっていない。
あの少女の声、表情、風の匂いまでが、まるで現実だった。
「……やっぱり、俺はまだ“あの約束”を終わらせられていないんだな」
手の中には、鍵と小箱。
ふと、蓋を開ける。
中には、古びた手紙と桜の押し花が一枚。
──『来年の桜の夜、もう一度、ここで会おう。』
それは、幼い日の約束だった。
けれど“来年”は、彼女には訪れなかった。
事故に巻き込まれたのだと、あとから聞かされた。
彼はその夜から、何度も桜の下に通い続けた。
それでも、誰も現れない。
ただ風が吹き、花びらが散るだけだった。
「それでも、俺は……君を待つって決めたから」
風が強くなり、花びらが一斉に舞い上がる。
桜の木がざわめくたびに、遠くから“声”が聞こえる気がした。
──“朝臣、桜が散る時、私はまた咲くの。”
どこかで聞いた声だった。
彼は思わず立ち上がり、見上げる。
桜の枝の間に、一瞬、誰かの影が見えた気がした。
「……桜霊、なのか?」
夜風の中で、花びらが渦を描き、彼の周囲に舞い落ちてくる。
その中心に、一枚の光る花びらがあった。
それは他のどれとも違う――微かな金色を帯びた、一枚の“魂花”。
彼が手を伸ばした瞬間、桜の根が光を放った。
そして、視界が歪む。
目を開けると、見知らぬ景色が広がっていた。
白い霧の中、桜並木が果てしなく続く。
その先に、ひとりの少年が立っていた。
「……誰だ?」
少年は朝臣と同じ顔をしていた。
だが、瞳の色が違う。
淡い桜色の瞳をして、静かに笑っている。
「久遠朝臣。いや、“初代・桜魂”か。」
「……どういうことだ?」
少年は一歩近づき、柔らかく微笑んだ。
「君は、八代目の“継承者”だ。
桜が閉じる夜、魂は次の器に宿る。
そして君が選ばれたんだ。——この記憶の輪を、終わらせる者として。」
風が吹き、白い霧が桜の間を抜ける。
その瞬間、朝臣の胸の奥に、これまでの桜魂たちの記憶が流れ込んできた。
痛み、祈り、誓い、別れ。
そのすべてが、彼の心の中でひとつに重なっていく。
「……俺が、終わらせるのか」
「いいや、君が“始める”んだ。」
少年の声は穏やかだった。
「終わりは、いつだって始まりの影。
桜が閉じる時、また新しい桜が咲く。」
そう言って、少年の姿は風に溶けていった。
朝臣は静かに桜の木を見上げた。
満開の枝の奥で、一輪だけ金色に光る花が、彼を見下ろしていた。
——八代目、久遠朝臣の“桜魂”が、今、芽吹こうとしていた。




