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《第一章 第4話 桜の記憶が咲く夜》
夜風は、まだ春を名乗るには冷たかった。
久遠朝臣は、塔の上でただひとり桜の花びらを見上げていた。
目を閉じると、記憶の底に淡い光が咲く。
その名を呼ぶたびに、遠い声が返る。
──「久遠」とは、永遠に続く約束。
──「朝臣」とは、夜明けを見届ける者。
誰がその名を与えたのか、彼自身も知らない。
けれど、名の響きに宿る重みだけは、心の奥で知っていた。
それは“始まりの人々”が交わした契り。
世界が八度滅びても、桜が散り果てても、
必ず再び咲くという約束。
だから彼は立ち止まらない。
いかなる夜にも、桜の記憶を見失わぬように──。
風が吹いた。
散るはずの花びらが、逆に枝へと舞い戻っていく。
その光景に、朝臣は思わず微笑んだ。
「……ああ、また、始まるんだな。」
声は静かに夜へ溶け、
遠くで誰かの夢が、淡く、咲いた。




