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《第一章 第3話 風が運ぶ名前》

翌日、学園は春らしい光に包まれていた。

 久遠朝臣は授業中も、昨日見た少女のことが頭から離れなかった。

 教科書の文字が霞んで見え、黒板の向こうに桜の木の幻影が浮かぶ。


 ——“桜の継承者”。

 あの言葉が胸の中で響き続けている。


 放課後、彼は図書室へ向かった。

 古い学園の記録や伝承の本が収められている最奥の棚を探る。

 埃をかぶった箱の中に、ひときわ古びた和綴じの本を見つけた。

 題名は『桜魂縁起』。

 開くと、そこには学園創立以前の伝承が細やかな筆致で綴られていた。


 “桜は記憶を宿す器。選ばれし者にのみ、過去の魂を託す。”

 “八つの魂が巡り、再び一つになる時、桜は真に咲く。”


 ページをめくるたび、朝臣の心臓が速く打つ。

 “八つの魂”――つまり、八代目。

 自分がその「最後の継承者」だと、あの少女は言いたかったのだろうか。


 その瞬間、窓の外から春風が吹き込んだ。

 机の上の花弁がふわりと舞い、開かれたページの上に落ちる。

 そこには墨でこう記されていた。


 “風が名前を運ぶとき、新たな継承が始まる。”


 ——まるで合図のように。


 廊下の向こうから軽やかな足音が響いた。

 顔を上げると、ドアの隙間から少女がのぞいていた。

 昨日の少女だ。

 淡い光をまとい、現実の中に立っている。


 「また、会えたね」

 彼女は柔らかく微笑んだ。


 「……君の名前を、まだ聞いていない」

 朝臣が言うと、少女は少しだけ間を置いて答えた。


 「——桜庭ひより」


 その名が空気に溶けた瞬間、室内の花弁が一斉に舞い上がる。

 風が彼女の長い髪を揺らし、金色の光が差し込む。

 それは祝福のようで、どこか哀しみの残響を帯びていた。


 「あなたは……八代目なのね」


 「八代目?」

 彼が問い返すより早く、ひよりは微笑んだまま静かに首を振った。


 「……いえ、まだ。

  でも——いずれあなたは“桜魂”の最後の音を聴く人になる。」


 その言葉とともに、風がまた吹いた。

 ページがめくれ、最後の一文が目に入る。


 “風が運ぶ名を記せ。それは記憶を超える鍵となる。”


 朝臣はペンを取り、空白のページにそっと書いた。

 ――桜庭ひより。


 インクが乾くと同時に、ページが光を放った。

 図書室の空気が震え、遠い鐘の音が鳴り響く。


 その音は、過去から未来へ続く“記憶の鐘”だった。

 ひよりの姿が光に包まれ、輪郭がゆっくりと淡くなっていく。


 「待ってくれ! まだ君に聞きたいことが——!」

 手を伸ばすが、風が指先をすり抜ける。


 ひよりは微笑みながら口を動かした。

 音は届かない。けれど、その唇の動きは確かにこう告げていた。


 ——“また、春に。”


 光が弾け、部屋は静寂に戻った。

 机の上には、ひよりの名を記した本と、一枚の花弁だけが残されていた。


 久遠朝臣は、その花弁を手に取って胸元にしまった。

 そして小さく呟く。


 「また、春に——」


 窓の外では、まだ咲かぬ桜が、微かに揺れていた。

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