《第三章 第2話 風に溶けた声》
放課後の教室。
窓の外では、夕陽が校舎を赤く染めていた。
桐生ひよりはひとり、黒板に残る文字をぼんやり見つめていた。
——久遠朝臣。
彼の名を思い出すたび、胸の奥がざわめく。
彼は言った。「君はまだ迷っている」と。
その言葉が、まるで自分のすべてを見透かしているようで、怖かった。
けれど同時に、どこか懐かしかった。
机の上には、一枚の古いノート。
表紙の角が擦れており、紙の匂いに少し湿った時間の香りが混じっている。
その中には、かつて朋広が書き残した詩の断片があった。
『花びらは、風に還る。
風は、記憶を運ぶ。
記憶は、君の声になる。』
指先でその文字をなぞると、ひよりの中に、かすかな声が響いた。
——“ありがとう”。
驚いて顔を上げる。
だが、誰もいない。
風がカーテンを揺らし、教室に桜の花びらが一枚、舞い込んできた。
それは机の上のノートに落ち、ひよりの目の前で淡く光を放つ。
「……朋広くん……?」
小さく呟いた声が、震える。
返事はない。
けれど、確かに感じた——彼の“存在の残響”。
扉の外で、足音がした。
ゆっくりと振り向くと、そこには久遠朝臣が立っていた。
「また、会ったね。」
「どうしてここに……?」
朝臣は微笑みながら答える。
「風が教えてくれたんだ。君が“記憶”を開いたって。」
ひよりは息を呑む。
彼の言葉に嘘はなかった。
まるで彼自身が桜霊そのもののように、風と共に現れ、記憶と共に語る。
「君の中に宿る“声”を、これから守る人が必要なんだ。
それが、僕の役目。」
「守る……?」
「うん。
けれど守るっていうのは、“代わりに戦う”ことじゃない。
君の心が崩れそうなときに、隣で“見届ける”ことなんだ。」
ひよりの目に、涙が滲む。
桜色の光が、夕暮れの教室を包み込む。
「……私、強くなれるかな。」
「なれるよ。」
朝臣は静かに微笑む。
「だって、君は“桜魂の記憶”を愛した人だから。」
その言葉に、ひよりの胸が締め付けられる。
でも、温かい。
風がまた吹いて、ノートのページがめくれた。
そこには、新しい文字が浮かんでいた。
『風に還る声、再び咲く。』
——まるで、朋広が“未来へ残した言葉”のようだった。




