魔法って御伽話じゃなかったらしい
ゴトン、ゴトン――。
軋む音とともに身体が揺れ、俺はうっすらと目を開けた。
冷たい木の床。
鼻をつくのは、藁と汗と血の混じった、重い匂い。
暗い箱のような空間の隅で、かすかな月明かりが鉄格子の隙間から差し込んでいた。
「……ここは……」
喉の奥が痛い。口の中にはまだ、あの甘ったるい匂いが残っている。
頭がぼんやりして、何が起きたのか思い出せない。
――そうだ。アンナが、熱を出して……!
「アンナ! アンナーッ!!」
思わず叫んで立ち上がる。だが足元がふらついて、膝をついた。
「ど、どうしよう……俺がいない間にアンナが……嫌だ……!」
自分で想像して勝手に絶望してると、
隅の方からか細い声がした。
「……目、覚めたの?」
声の方を見ると、俺と同じくらいの年の少年がいた。
柔らかい金の髪に、透き通るような青い瞳。
「……君、攫われたの?」
「……あぁ」
「名前は?」
「そんなの聞いてどうすんだよ」
「こんなところだけど、せっかく出会ったんだ。名前ぐらい教えてよ」
「ルーカス。でお前は?」
少し間を置いて、彼は静かに名乗った。
「僕は、ラシェル。ラシェル・エリシア・ヴァルモンド。……だった」
「だった?」と聞き返すと、ラシェルは目を伏せて小さく息を吐いた。
「ヴァルモンドはもう、名乗れないんだ」
何かを失ったようなその言い方に、僕は返す言葉を失った。
ふと、周りを見渡すと、この箱には十人ほどが押し込まれていた。
呻き声をあげる傭兵風の男、震えるエルフの親子、泣き疲れて寝てる子ども。
それを見てラシェルは胸元の小さな木のペンダントを握りしめた。
「大丈夫。神がきっと、救ってくださるから」
「神? アンナ?」
「ちがうよ!? ヴァルディナ様!てか、それ誰?!」
「俺の妹だ。神と言っても過言じゃないがどちらかといえば天使だな。
逆にヴァルディナって誰だよ?」
「えっ知らないの?」
うなづくと、ラシェルは少し嬉しそうに顔を上げた。
「ふふ、じゃあ教えてあげる。ヴァルディナ様はね、この国をつくった大魔法使いなんだよ。
その力で何もなかったこの国を世界屈指の魔法大国にまでしたんだ」
「ふーん。」
「この自然もすべてヴァルディナ様によって育まれたんだ。ヴァルディナ様亡き今その血を引く王族がこの国を統べてくれてるんだよ」
ラシェルの声には不思議な輝きがあった。
「つまり、アンナはヴァルディナとやらだということか。」
「話聞いてた??馬鹿なの?!ここまでくると怖いよ!!」
「……それに、そんな話、初めて聞いたぞ」
「え?学校で教わるのに?」
「学校?」
ラシェルは目を丸くし、呆れたように笑った。
「まあいいや。じゃあこれも知らないんじゃない?見てて」
呆れたように笑ったラシェルが、掌をかざす。
「深淵の水脈よ、澄みて流れよ――アクア・フロー」
小さな水の渦が生まれ、光を帯びながら皮袋に注がれていく。
「……なんだ…それ」
「魔法だよ。信心深くあればこうやってヴァルディナ様に力を借りることができるんだよ」
魔法。
そんなもの昔お母さんが語ってたお伽話だと思ってた。
「なぁ、俺にもできる?」
「いや、そう簡単には僕でもここまで出来るようになるまで2年かかっ――」
ラシェルが言い終わる前に、両手を前に突き出した。
「しんえんのなんとか...まぁいいやとりあえず
アクア・フロー!!」
「えっ、ちょ、ルーカス!?」
すると、掌の前で、歪な形の水球が生まれた。
やった!!――と思った次の瞬間、水球がどんどん膨れ上がっていく。
最初は果物ぐらいだったそれが、子どもの頭ほど、さらには大人の胴体ほどの大きさにまで膨らみ...
「え、えぇっ!? ちょっと待って止めて!!」
「ど、どうやって!? 止まらねぇ!!」
狭い荷台の中、他の奴隷たちがざわめき、慌てて壁際に身を寄せる。
「おい、やめろ!」「なにしてんだ!」と怒号が飛ぶ中、
水球は荷台いっぱいに広がり、ミシミシと木が軋む。
「ルーカス! 魔力を切るんだ、魔力を!!」
「ま、魔力ってどうやって切るんだよっ!?」
パンッ!!!
突然巨大な水球が弾け、荷台中に水がぶちまけられた。
奴隷たちの悲鳴とともに、びしょ濡れのルーカスが膝から崩れ落ちる。
「ルーカス! ねぇ、ルーカス!!」
ラシェルが慌てて駆け寄ると、ルーカスはすやすやと寝息を立てていた。
「……はぁ。なんなんだよ……」
濡れた髪を払いながら、ラシェルは小さく呟いた。
⸻
翌日。
昨日の騒動でびしょびしょになった荷台の中は、冷たい空気と湿った木の匂いで満ちていた。
奴隷たちは誰も口を開かず、ただじっと体を寄せ合って震えている。
ルーカスは相変わらず眠ったままだ。
ラシェルは膝の上にルーカスの頭を乗せ、静かに息づかいを確かめた。
「……寝てるだけ、か。
まったく、初めてであれだけの大きさってどうなってるんだ...」
外では、鞭を鳴らす音と、低い怒鳴り声が響く。
「遅いぞ! 次の市に間に合わねぇだろ!」
どうやら商人たちは、目的地に急いでいるらしい。
しばらくして、車輪の振動が次第にゆるくなり、馬のいななきが近づいた。
――その時、外から鞭の音が響いた。
「着くぞ! 市は目の前だ!」
その声でルーカスはうっすらと目を開ける。
「……んっ」
「もう着くみたいだよ……」
ラシェルの声は低く、重かった。
馬車が止まると、ガチャリ、と外の錠が外された。
扉が開いた瞬間、夜の冷たい風とともに、ざわめきが流れ込む。
外には広場のような場所が広がっていた。
松明が立ち並び、金属の檻や柵がいくつも並んでいる。
商人の男が怒鳴っている。
「降りろ! 一人ずつだ、逃げるなよ!」
背中を押されながら、ルーカスたちは外に出る。
湿った土の上を歩くたび、冷たさが染みた。
「アンナのところに帰らなきゃ」
「……まだそんなこと言ってるの?ここからルーカスが攫われたところまでどのぐらいあるかわかってるの??」
「でも!....どうしろって言うんだよ...」
ラシェルは呆れたようにため息をついたが、すぐにその表情を和らげた。
「……信じてればいつか会えるさ」
遠くから、誰かの泣き声と、金貨の音が響いた。
――そしてその夜ルーカスたちは〈奴隷市場〉へと足を踏み入れたのだった。
この奴隷市場は国境付近にあります。
特に意味はないです。




