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神聖ヴァレンティヌス記念パティシエール共和国建国譚

作者: 蒼原悠

 



「国家の三要件って何だっけ?」

「国民、領土、主権じゃないですか」

「作っちゃおうか。国」


 そういってグレーテル先輩は板チョコを煉瓦のように積み上げた。高さ五十メートルの立派な壁が、俺たちの立つ大地を街の喧騒から切り離す。見よう見まねで俺もクッキーを並べ、国会議事堂を組み立てる。屋根はウエハース、瓦はポテトチップス、木々はプリッツ、空を彩るのは桃色の綿菓子。


「領土ってこれでいいんですか。新しい島とか作らなきゃいけないんだと思ってた」

「物を知らないねヘンゼルくん。それだと一つの島に一つの国しか存在できないじゃん。要は排他的な実効支配領域があればいいの。主権侵害を防ぐためには武力も必要だよ」


 そんなものかと思いながら、束ねたトッポを丸太のように担ぐ。狙いは上空をふらふら飛ぶ警察のヘリコプター。甘い匂いを撒きながらチョコが空を飛ぶ。メインローターを茶色で染められ、顔が濡れて力が出ないヒーローのようにヘリコプターは墜落した。


「あーあ。大丈夫かな、パイロット」

「あのへんにマシュマロ敷き詰めたから大丈夫だよ。平伏して臣民になってくれるかも」

「“国民”も手に入ったわけですね」

「まさか。国民はヘンゼルくん一人でいいよ。あの人たちには交渉役になってもらおう」


 夢遊病のような足取りで近寄ってきたパイロットと警官に、グレーテル先輩はたっぷり砂糖を掛けてドレスを着せてしまう。いいこと、お堅い日本国政府の石頭首相に我が国の正統性をしっかり説いてきて。先輩が命じると、二人は「チョコたっぷりにしてまいります!」と敬礼した。


「先輩、王様みたいですね」

「私は王様なんて柄じゃないよ。それに、我が国では民主共和制を採用するから」

「それでも国家元首は必要じゃないですか」

「そうだよ。私は大統領、君が首相」


 何が違うのかと尋ねたら、プリングルスと煎餅くらい違うと先輩は答えた。俺は仕方なく胸に煎餅のブローチをつけた。外交的非礼を避けるためにはやむを得ない。


「そうだ。我が国のアイデンティティを示すデザインが欲しいよね。日の丸みたいにさ」

「作りましょうか、国旗」

「察しが早くて助かるよ。可愛い国旗を掲揚して国会議事堂をファンシーにしよう」


 いったいどんな国にするつもりなんだ。ぼやきつつ、ショートケーキにナイフを入れて、とろけたクリームを舐めながら壁の上に並べてみる。上から順に白、黄色、赤、それから黄色。これが我が国のトリコロール。「ガトーショコラでも良かった」と先輩が文句を言ったが、それだと焦げ茶一色になって退屈だ。


「国歌はあれがいいよね。チョコレート、チョコレート、チョコレートは□ッテ」

「もうちょっと中身のある歌詞がいいです」

「『最期までチョコたっぷり』が我が国の国是だよ。国是を体現した良い歌詞でしょ」

「いつ決めたんですか。俺はあっちの方がいいです。『お□の恋人』」

「ダメだよ。知財高裁に訴えられるよ」

「先輩のも訴えられると思います」

「大丈夫。我が国の主権領域内では日本国の法に拘束力はないから。治外法権は認めないよ」

「治外法権も何も、そもそもまだ日本と国交を結べてないんですけど」


 送り出した代表団の二人が俺の脳裏をよぎった。今頃、石頭首相の前で緊張して氷砂糖になっていないといいのだが。二人が無事に帰ってこられるよう、カステラを地面に敷き詰めて滑走路を作っておく。完成したばかりの運河にもゼリーを流して、この狭い領土にインフラを行き渡らせてゆく。下水道は要らないと先輩に言われた。この国に汚いものは存在しない。そう憲法と菓子箱の裏に明記されているらしい。

 なんで国なんか作ろうと思ったんですか。

 建国のレシピをクックパッドにまとめている先輩に、何気ない気持ちで問いかけた。つまらないからだよと先輩は答えた。当たり前のことを訊くな、と言いたげだった。


「私が神話になりたかったから」

「それと国造りに何の関係が……?」

「国生みの神様こと伊弉諾尊(イザナギノミコト)は追いかけてくる奥さんに桃を投げつけたらしいよ。酷いと思わない? イザナギとイザナミはお菓子の魔女を倒して生涯仲良く暮らしました──ってな具合に、私が日本神話を書き換えるの」


 いろいろ混ぜこぜにされ過ぎていて訳が分からなかったが、そもそも俺はチョコレートの壁に囲まれた時から訳が分かっていなかった。銀色のキョロちゃんを衛兵よろしく壁の上に並べながら、刺激が苦手なの、と先輩は独り言のようにつぶやいた。


「事件も戦争も味気ないエンタメに成り下がって、世の中は尖った味であふれ返ってる。誰も彼も先を争うように刺激を求めて、それで誰かが傷ついてもお構いなし。そんな世界、飽き飽きしてるんだよね。甘い理想としょっぱい現実だけで世界が満たされれば、私たちはもっと平和に仲良くなれる。それが私の神話」

「……何の話ですか?」

「要はさ、」


 先輩は雪のように積もった生クリームをすくい取って、俺の口に押し込んだ。甘い匂いに身体が重くなった。倒れ込んでクリームに埋もれながら、ソーダ色の空を二人で眺めた。ショートケーキの国旗が風になびいている。代表団の帰ってくる気配はない。


「君の視界が、君の世界が、君の望む味で満たされていてほしい」


 先輩が言う。

 触れた指先に、ほのかな熱がにじんでいる。


「もう死ななくていいように」


 爆音を上げながら戦闘機が空を突っ切る。


「君が君らしく生きてゆけるように」


 放たれたミサイルを綿菓子の雲が受け止め、弾け飛んだ。粉雪のように舞う砂糖のかけらは澄んだ桃色だ。逃げる戦闘機に金平糖が群がり、寄ってたかって炸裂する。翼を失った戦闘機はきりきりと墜ちてゆく。閃光が走り、轟音が地を揺らす。悪魔の断末魔を先輩は涼しい顔で聞いている。その大きな瞳が、立ちのぼった煙をとげとげしい光で見つめている。


「甘さも苦みも捨てられない優しい君が、どうやっても命を落とせない場所。それが、私の作る国。私の望む国。それが叶わない世界なんか、燃え尽きて灰になってしまえばいい」

「先輩……?」

「国家の歴史とは戦争の歴史だよ。君を守るために私は戦うんだよ、ヘンゼルくん」


 そういって、倒れ込んだままの俺を抱きしめる先輩の頬はひどく上気していた。迎撃しきれなかったミサイルが耳元で爆発して、甘い匂いが脳を焼いて、俺は気を失った。




 ──はたと目を覚ましたとき、俺は病室の真っ白なベッドに埋もれていた。枕元には切ったリンゴが数切れと、下手くそな形の焼き菓子がひとかけらと、ベッドに突っ伏して寝息を立てる倉田(くらた)先輩の姿があった。何気なく喉元に手をやれば、縄を結んだ痕が爛れたように残っている。思わずカーテンを開け、胸に手を当て、息をしているのを恐る恐る確かめた。

 俺は命を絶ったはずだった。

 高校の同級生にいじめられ、教師にも嫌われ、ケンカした両親に実家も追い出されて。

 むくりと起き上がった先輩の目が俺を捉える。もうどこにも行き場のない俺が、唯一、避難所代わりに居着いていた文芸部の先輩だ。身を置いていた「よく眠れた?」と尋ねられ、俺は言葉に詰まる。先輩が助けてくれたんですか。そう問いかけた俺の唇に、先輩が茶色の塊を押し付けて塞いだ。ほのかな苦味と爽やかな甘みが舌を染めた。


「大事な可愛い後輩にチョコ作ってきてやったところだったのに。私を置いて勝手に旅に出るなんて許さないぞ、辺見(へんみ)くん」

「……これが、ですか」

「それ、ウィスキーボンボンになってるから。弱ってる時に食べたら飛ぶよ」


 そういう瑕疵(かし)は食べさせる前に告知してほしかった。ぐらつく視界の奥で先輩が満足そうな顔をしている。自殺、失敗してよかったでしょ。嘯く頬には光の跡があった。


「自分の世界へ逃げ込むなら私も連れていってよ。甘ったるくて退屈で、時々ちょっとしょっぱいだけの優しい世界に仕立ててあげる。──苦味も、痛みも、君には似合わないよ」






何これ?

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