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神となった女囚

作者: エラワン


 「主文、被告人を懲役5000年の刑に処す」


 裁判官の前方に座る女はゆっくりとその涼し気な目を閉じ、頭が後ろに倒れて行く。周囲の男達が女の身体を支えて起こそうとするが、そのまま起きる気配が無い。判決を聞いた女が気を失ったのであった。


 建前上死刑のないこの国で懲役5000年は最高刑である。女に対する判決は、公文書偽造という国家反逆の罪を問われてのものであった。国家転覆など全く身に覚えのない容疑で、誰かにはめられた可能性が有ると訴えたが退けられた。


 刑は直ちに執行される。監獄ユニットの中に寝かされて、チューブのようなものを無数に繋がれる。女の身体からはあらゆる体液、血液が抜き取られ、代わりの科学的な意味を持つ様々な種類の培養液、人工血液に変えられてゆく。だが、意識ははっきりしている。いや今まで以上にその感覚は研ぎ澄まされ、冴えわたってゆくのが女にはいやというほど分かった。立て向きに身体の位置を変えられたが、どのような構造になっているのか、身動きは一切できない。目も開いたまま閉じる事ができないのである。人工冬眠とは違う、それがどんな意味を持つのか、考えたくも無かったが、無限の時間がそれをさせなかった。

 棺桶のような狭い空間に閉じ込められて、慣れて来るとぼんやり薄明りの中、目の前の無機質な棺の一面を見つめる事でしか生きられない。死ぬ事も出来ず、考える事だけは可能なのだ。そしてこれから5000年もの間この状態で延々と生かされるのである。女が判決を聞いた途端気を失ったのも無理はない。それはある意味死刑よりも残酷な刑罰であった。

 ただし監獄と言っても埋葬に近い。辺鄙な荒涼とした山間部で地中に小さな家ほどもある監獄ユニットが埋められるのだ。5000年を超える生命を維持する装置が淡々と埋葬される。土を戻し重機で整地した後にはカーペットが敷かれて、イスやテーブルが用意され、ワインやフルーツなど色とりどりのオードブルが並べられると、楽団の生演奏が始まる。やって来た高級車から降りた恰幅の良い男は独裁者で、反逆した者を埋葬したばかりの地表でパーティーを開いたのである。


「おーい、音楽はもういい、君たちもここにきて飲んだらどうだ」


 独裁者は楽団のメンバーを呼ぶと「後は好きにやると良い」と言い残し、生あくびをこらえながら会場を後にした。

 事件後は女が生きた一切の記録が消されて、埋められた後の地表には何の痕跡も無いただの荒れ地が広がっているだけであった。




 身体の感覚は何も無い。耳は聞こえているのかいないのか、無音の中、有るのは目から入る壁の情報だけである。体中のあらゆる筋肉が弛緩しているのだろう、目玉さえも動かす事が出来ない。数十センチほど先の壁の一点を見つめる事だけが可能な毎日。後はただひたすら考える日々、と言っても昼も夜もないから一日が過ぎたという感覚もなく、ただ時間だけが流れていく。来る日も来る日も、永遠と考えつづけ、眠くなっても目を閉じる事ができず、開いたまま眠る。遠のいていた意識が戻るとまた考える。こうして女は5000年の刑期に浸かってゆくのである。


 刑に処された直後は何故だと、何が有ったのかと、犯罪を疑われた背景を考えた。一体誰にはめられたのだ。他人から恨まれるようなことはしていないはず。何故だ。確かに上司から頼まれて一通の公文書を仕上げて提出した事は有った。あれがそうなのか。何故だ。あれが疑われた公文書だったのか。何の変哲もないただの公文書にしか思えなかった。忙しいから代わりに書いて出しておいてと頼まれ、気軽に引き受けた一通だった。あんな紙切れ一通で国家反逆罪に問われ、5000年の懲役刑を受けるとは。

 独裁者は疑り深い。どんなに親しい身内であっても、決して油断は出来ない。些細な疑念が取り返しのつかない結果を生む。複雑なパズルのように入り組んだ人脈が女の脳裏をめぐり、黒幕をあぶり出そうと考え続けた。


 眠り、起きるとまた考える恐怖の長い時間が始まる。一体何日が経ったのだ。一年か二年か、幸い暑さも寒さも感じないし空腹感もない。有るのは堂々巡りの犯人捜しである。いい加減嫌になるが、他に考える事が思い浮かばない。こんな目に遭わされた自分に納得できない。一体誰が……


 実を言えば5000年という刑期に意味は無い。受刑者に無限の苦痛を与えるという意図しかないのである。実際誰も5000年後がどんな世界になっているかなど分かりはしない。刑の執行者たちも5000年後の事など何も考えてはいない。まさに一方通行、未来のない島送りのような刑罰である。但しこの受刑者たちは島ではなく、地中に埋められた監獄に未来永劫閉じ込められるのであった。




 やがて5000年に達したのかどうか、どのような天変地異が有ったのか、監獄周囲の地形も変わり、藁ぶき屋根の建物が立ち、変わった風俗の人々が行き交う異世界になっている。独裁者はその後起こった革命で虐殺され、痕跡は跡形もなく消し去られた。さらに地下の監獄制度はあまりにも年月が経ちすぎて、人々の記憶にも既に無く、歴史の上からも消えていた。刑の執行者たちは消え去り、受刑者だけが残るという状況が出現しているのである。

 数千年という歳月は、地球上の地殻プレートを一キロ近くも移動させる。つまり人々が生活している大地が一キロもずれるというわけだ。地下に造られた受刑者施設がどう変化してしまうのか誰にも予測できない。地殻の変動が地下の監獄を地上に押し出してしまう事も有り得る。




 女は気のせいかとも疑ったが、壁の位置がずれてきているように感じた。壁が動いたのか、それとも自分の眼球が動くようになったのか。まさか、この身体が動く!

 女は自分の身体を全く意識できなかった。5000年もの間、過去の記憶をさかのぼり、逆再生するように思い浮かべる事で幽体離脱、つまり変性意識状態に入っていたのである。それは、目覚めてはいるが日常とは異なった意識状態の事で、まるで幽体離脱のような感覚を引き起こす。日常の脳波はベータ波であるが、それとは異なっている意識状態をさす。

 変性意識状態となるのは、精神や肉体が極限まで追い込まれた場合や瞑想時、薬物を使用している時などがある。それは宇宙との一体感、全知全能感や強い至福感などを伴うことがあり、この変性意識体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものも含まれるが、もちろんこの離脱は脳の働きによる身体の錯覚である。


 女はめまいに似た様なものを感じている。確かに自分の身体が動く気配を感じるのだ。それとも周囲が動いているのか。何時からそうなったのか、無限の時の流れが女の内面を主とした感覚を鋭く研ぎ澄ました刃の様に変化させ、異常な進化を遂げていたのだ。注入された培養液は既に身体の一部として何ら変わりない新たな血液となっていて、身体に感ずる音や振動が、自らコントロールし、遮断しなければうるさいほどとなっている。周囲のほんのかすかな変化や動きに全身の神経組織が反応しているのである。何と野生動物のように、大地のかすかな動きまでもが手に取るように分かってしまうのであった。

 何時間も何年も、女はじっと聞き耳を立て、いや肌に感ずる振動の意味を探っていた。

 そして、それは何の前触れもなく起こり始めた。明らかに何かが変わり始めたのだ。自分を取り巻いている施設が何やら動きだすではないか。女は監獄の構造がどうなっているのか分からない。だが、明らかにその動きは、身体を拘束していた頑丈な装置から解き放してゆくものである。

 暫くして重い扉が左右に開くとまぶしい日差しが差し込んで来る。女は思わず閉じた目を、ゆっくり少しづつ開くと、自分を包んでいたユニット内部を注意深く見回してみる。首が動く、大丈夫だ、もはや拘束も繋いでいる物もない。今度は全身をそっと動かしてみる。だがその瞬間、体中に熱湯でも流れたのではないか。激痛にも似た感覚が全身を貫く――

 女は思わず悲鳴を上げた。


「アツッ!」


 無理もない、5000年振りに身体を動かしたのである。しかし、体内に流れているものは熱湯でも何でもない、杞憂であった。慣れてくればどうという事も無い。開かれた扉に手を掛け、よろよろ一歩二歩と泳ぐように歩き、ユニットの外に出てみた。まるで実体のない夢の中を歩いているようである。

 だが、ついに自由を得た、思わずその新鮮な空気を吸ってみると、草の匂いに混じって何やら動物の匂いがする。長いこと忘れていた感覚である。だが女は直ぐ異変に気付く。そこに呆然と突っ立って自分を見つめる者たち。数人の羊飼らしい風体の者たちが居る。

 突然岩が開いて、中から長い黒髪を揺らす女が現れたのである。驚愕する男たちは皆杖を投げ出し、ひざまずいて祈り始めた。


 岩の中から女神が現れたという知らせは瞬く間に広まり、やがて辺り一帯の集落から老いも若きもはせ参じると、女囚の周囲は祈る人々で立錐の余地もなくなってしまう。この国には救世主伝説があった。為政者に虐げられている人々を救う女神が現れるだろうと古くから言い伝えられてきた。その女神がついに目の前に現れたのだ。人々は雪崩を打って、岩より現れた女囚の前にひれ伏し、拝み始めたのである。


「おお、女神様、我らをお救い下され」


 言葉は分からないが、状況から女囚は自分がとんでもない思い違いに遭遇しているらしい事は分かった。


「あの、貴方たちは何か勘違いをしているのではありませんか?」

「神様!」

「あの、だから、違うんですってば……」


 どうやら自分は神と間違えられているらしかった。

 村人の間からは女神の世話をする女性たちが選ばれて、数人の者が前に出ると挨拶をした。


「女神様、どうかこれをお召し下さい」


 ひざまずく女たちは女囚に衣服らしいものを差し出した。


「あっ」


 ここに至って女囚はやっと自分が裸である事に気が付いた。まだ意識だけが主体で、皮膚感覚が戻っていないのだった。


「…………!」

「私たちにご命令を……」


 差し出された衣服をすぐ身にまとおうとするが、身体が思うように動かない。自分の思いと手足の動きがちぐはぐだ。服を着る手伝いをした女たちは再びひざまずき次の指示を仰いだ。


「あのねえ、だから私は女神ではなくって、ただの女囚なのよ。 もっとも務めはやっと終えたようだから、もう女囚ではないのだけど、私は元女囚、ただのお、ジョ、シュウ、ウ、分かった?」

「……ジョシュ様」

「え、ジョシュ、えっとそれは――」

「ジョシュ様、何なりとご命令を」


 女たちはそう言って再びひれ伏してしまう。

 言葉は驚異的なスピードで分かるようになっていった。女囚の鋭く磨かれた感性が周囲の状況把握をも容易にしていったのである。


「ジョシュ様、村々の長らが参っております」

「村々の長……」


 一息入れていたかやぶき屋根の小屋から外に出ると、確かにそれらしい者たちが並んでいる。軽くため息をついた女囚は、中央にひれ伏す長老らしき老人の肩にそっと手を置き言った――


「お立ちなさい」


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