12.十七の夏は恋わずらいの季節
「……………」
その夜。
陽が沈み、空に星々が瞬き出す頃、夜着姿になった葵はひとり、頬を膨らませていた。
いるのはいつもの部屋の、御帳台の外である。
夫はもう、御帳台の中だ。
ーーーもう、一緒に寝てあげませんっ。
そう啖呵を切ったくせに、舌の根も乾かぬうちに一緒に寝ようとしているのはひとえに、女房たちによる「それはさすがに婿君さまがお可哀想では」連合に押し負けたからである。
頬を膨らませたままの葵はそっと、御帳台を覆う白布に手を伸ばす。
まあ、女房たちの言葉は一理ある。
だって自分は、光を守ると決めたのだから。
せっかく夫が毎日、明るい瞳で笑って帰ってくるのにーーーここで自分がしくじって、あの夢のように闇落ちさせてしまうわけにはいかない。
それに、結局のところ、ふたりの間にはまだ、何もないのだ。だから葵がすべきことは、これまでと何も変わらない。
そう思い直し、白布に触れた手は、しかし、そこから先に動かない。
光のせいだ。
だって、だって、と、葵は心の中で地団駄を踏んだ。
(だって、どうすればいいの。い………、いつもわたくしにドキッとしているなんて言う人と………どんな顔をして、一緒に寝ればいいの!?)
結婚以来の立派なお飾りの妻を前にして、一体どういう気持ちでそれを言っているのだろう。
「……………っ」
葵はひとつ息を吐くと、今度こそ澄まし顔を作って、そっと御帳台の中に入った。
「………光さま。もう、お休みになっていますか……?」
小声でそう言ってから、葵は心の中で苦笑した。
あの夢とは、真逆の言葉である。
夢の中では、いつも夫を残して御帳台に引きこもっていたのは自分だった。
そんな自分に、夫がかけてくれていた言葉である。
ーーー葵の上さま。もう、お休みになっていますか。
夢の自分は、返事を返したことが果たしてあっただろうか。
葵はそんなことを、ぼんやりと思った。
夢と同じ夜着姿で、けれどなぜか衾の上に正座していた夫が、葵の声にぱっと振り向いた。
「いいえ、葵、まだ………っ、〜〜〜!!」
葵をその瞳に映して、光が見る間に真っ赤になる。
葵はまごついた。
昼間といい、一体何が起きているのだろう。
「何です………、これは、いつも通りの………」
単袴と違って、肌が透けたりしない、ごく普通の夜着なのに………なんて。
言いながら、自分でも何を言っているんだろうと思った。
「だって、あなたが私より後に来るのなんて、珍しかったから……」
そう言って、光がまだ赤い頬を手で覆っている。
そう言われたらそうだ。
いつもなら暗い御帳台の中で、光は夜着姿になった自分を、まじまじと見たことはないのだろう。
はにかむように言われて、葵も小さく微笑みを返した。
その気持ちなら、分かる。
夢の自分だって、顔を見もしないくせに、言葉も返さないくせに、光が来てくれる日は嬉しくてたまらなかった。
光が少しでもそう思ってくれるなら、嬉しい。
だから、(想い人って…………誰?)という突っ込みは、心の中に留めておくことにする。
隣に腰を下ろそうとすると、ころんと寝転んだ夫が「はい」といそいそと隣を空けて、衾をめくってくれた。
葵は遠慮がちに、そこへ寝転んだ。
光のすぐ隣に。
そこから見えるのはいつもの景色だった。
葵はなんだかホッとした。
いつものように手を重ねようとすると、ぎゅうっと夫に抱きしめられた。
「……………っ!?」
驚きで体を硬くする葵に、光が言う。
「葵、昼間のこと………ごめんなさい。あれは、違うんです」
葵は小さく息を吐いた。
ほら、やっぱり。
そう思うくせに、胸が痛い自分が嫌だった。
大丈夫です。分かっています。
そう言おうとした時、夫の言葉が続いた。
「あれは決して、助平な意味じゃなくて!信じてもらえないかもしれないけど、単袴のことを言ったんじゃないですから!本当です。本当に本当………あなたの一族の守護神、春日大社の神に誓って!」
「…………ん?」
眉を顰める葵を置いて、光の言葉が続いていく。
「単袴は確かに目の毒だけど、それは好きな人が着てるからで………あの、あなたは何を着てても、いつでも綺麗です。あなただから、ドキッとするんです」
(…………?…………!?)
何も大丈夫ではなかった。
その上何も分からない。
顔に出ていたのだろうか。
瞳に?マークを浮かべる葵に、真っ赤になった光が、こつんとおでこをくっつけてきた。
「………お願い………何か、言ってください」
「…………………………」
葵は数秒間の停止ののち、エラーコードが鳴り響く脳みその中からなんとか、言葉を絞り出した。
「…………お、おやすみなさい、光さま」
ええ、と口を尖らせつつも、葵が手を繋ぐと、光はすぐに寝息を立て始めた。
幼い頃からの刷り込みはすごい。
そして相変わらずの、あどけない寝顔である。
元服の夜、光の添臥に選ばれたあの時、自分はこの寝顔を眺めながら、どうか幸せに生きて、と願ったのだった。
その想いは、今も変わらない。
ーーーわたくしが家族になって、そばにいます。あなたを幸せにしてくれる人が現れる、その時まで。
葵はあの時、そう誓ったのだ。
寝付けずにいると、んん〜、と、隣から寝言が聞こえた。
葵は笑って、何と言ったの、と尋ねてみた。
「…………って………いって。あおい………」
呂律の回らない口調で、小さい子のように、光が言う。
「え?」
聞き返すと、夫の寝言はこんな音を作った。
「すきなひとは、私って言って。おねがい、あおい。葵………私のあおい〜………」
「な…………、寝ぼけてるの、光さま」
目を見開いて、震える声で葵が言う。
言った途端に、口を塞がれた。
(…………!?…………!!)
動けずにいると、眠ったままの夫は今度は、ちう、と首筋に吸い付いてきた。
「わ、ちょっと………光さま!光さま………も、もう………!」
さすがに慌てて夫の体を押すのに、びくともしない。
五年の年月は葵が思ったよりも長かったらしい。
自分よりも小柄だったあの少年はどこへやら、もはや体格差は歴然である。
やっと口が離れると、また抱きしめられた。
葵を腕の中に閉じ込め、満足げに笑って、光がまた寝息を立て始める。
「な………な………!」
葵は一睡もできなかった。
***
葵が寝ぼけた夫と格闘していたその頃、弘徽殿で東宮は一人、物思いに耽っていた。
見上げる夜更けの空には、星々が輝いている。
街灯もネオンもない、平安時代の夜である。
満天の星空の下で、夜番の衛士が居眠りしているのが見える。
東宮は苦笑した。
帝の妻と子供たちの暮らす後宮の警備がここまでザルなのは大問題だが、まあ、いつものことである。
平和の証だ。現に昼間だって、弟にあっさり侵入されているのだから。
唐の大帝が聞けば驚くだろう、と東宮は思った。
向こうの後宮では、そこに入れる男子は帝のみ。その上、それ以外の男は皆、去勢されていると言うのだから。
たしか宦官って呼ぶんだっけ、と、東宮は遣唐使たちが記した書物を思い出す。
翻って日本はどうか。
宮中の公達は「あ、そうだ!今日は女御さまのご機嫌伺いに行こ〜」の気軽さで、帝の妻に会いに来るのである。
だから東宮にとって、後宮は寂しい場所ではなかった。
第一皇子として生まれて以来、この弘徽殿には「ご機嫌伺い」にやってくる公達が常時、大量発生していたからである。
ーーーだから、寂しかったとすればそれは、ひとりぼっちだったからではない。
東宮はその生涯において、いつも光る君の陰にいた。彼に光が当たっていたのは、光る君が生まれるまでの短い間だけだ。
父君に似た立派な風采だと、幼いのに誰にも負けない歌の才だと、そう誉めそやす人はこの弟と出会ってから、二度と。
誰一人として、自分の方を見なくなる。
光は生まれた時から、輝かんばかりの神々しさに包まれていた。出会う人全てを、虜にできるような。
それでいて、無邪気に、天真爛漫にその生を謳歌していた。
その人智を超えたオーラが消えたのは、元服の夜。
自分のかつての許嫁だった、葵の上と結婚した時だ。
あの時の人々の驚愕はすごかった。
左大臣の姫君が光る君を骨抜きにしたと、都中を噂が駆け巡ったものだ。
ーーー私は一生、弟の影に埋もれて生きていくのだろうと思っていた。皆もそれを、当たり前のように望んでいると思っていた。
私がしっかりしなければ。
もう一度、頑張ってみなければーーー。
頑張ってみてもいいのだと、そう思えたのも、その時だった。
無意識のうちに、東宮は自分の手を見つめていた。
自分が触れたあの弟の衣は………それは丁寧に染められ、縫い取られたあの衣は。
かつての許嫁が作ったものだ。
―――葵の上は私の妻になるはずだったのに、って、母上やお祖父さまは怒っておられたけど……。
あの時、弟に会えなかった言葉を、東宮は心の中で呟いた。
(私は、あんな、人間らしい弟の顔を初めて見て………)
それが本当に、ほっとして。
ーーー心の底から嬉しかったんだ。
左大臣が、頭中将たちが、惟光や大輔の命婦たちが。親しい皆がお前を好きなのは、容姿が優れているからじゃない。才能に溢れているからでもない。
本当は不器用なくせに一生懸命で、誰よりも優しいのを知ってるからだ。
そう、だから………。
何もしなくても、もうきっと。
東宮が見上げる空に、星が流れた。
目を細めた東宮が、言祝ぎの言葉を紡ぐ。
ーーーきっと、姫はお前のことが好きだよ、と。
***
空には、星が流れている。
東宮がそう呟いたのと、同じ時。
「……あおい〜………」
そんな、ねだるような甘えた声で、光がぎゅうぎゅうと葵を抱きしめる。
何十回目の寝言だろう。
その腕の中で、葵は唐突に気が付いた。
酔っていても、寝ぼけていても、夢の夫は、自分にこんなことはしない。
形だけの正妻、葵の上をこんなに抱きしめて、あなたは一体、誰の夢を見ているのだろう、と。
本当なら、そう思うところだ。
ーーーこんなに、自分の名を呼ばれてさえいなければ。
誰と間違えているの、なんて、尋ねようがない。
光は自分を呼んでいるのだ。
心臓の音が、走り出す。
光の熱が移って、真っ赤になった葵は、心の中で呟いた。
(………光さまって、もしかして………、わ、わたくしのことが好きなの?)
***
さて、朝である。
夜中にそんな大事件が起きているとは露知らない光は動転していた。
空前絶後の大事件が起きていたのだ。
いつもの如く、絵巻物の姫君に相応しく装いを整えた葵の、首筋に。
赤々としたキスマークが付いているのである。
「な………、あ、あの、あああああの、葵」
「………何です。光さま」
葵が視線を逸らしたまま、す、と扇をかざしてそれを隠してしまう。
その頬は朱に染まっていた。
光はどっと冷や汗が吹き出した。
「いや、あの………わわわ、私がもし、寝ぼけて願望のままにあなたに無体をしたのだったら………思い切りぶん殴ってください!心ゆくまで!!」
―――お前は突っ走る癖があるからなあ。
そう言って笑う、東宮の声が耳に蘇る。
だって兄上、と光は心の中で泣きついた。
起きている時なら制御しようもあるけど、無意識の間なんて一体、どうしたらいいんです!?
「うう………一体何があったんです?私が知らない間に、あなたにそんなことしたなんて許せない!」
そう言って崩れ落ちた光を、赤い顔の葵が見つめている。自分の後ろに控える大勢の女房たちの存在を忘れて、葵はぼうっとしたまま呟いた。
「………あれが………願望のまま、なのですか。光さま。光さまは………」
「………ごめんなさい。私が何かしたんですね?嫌わないでください………私は本当に、何してたんです?」
「…………嫌いになったりなんて………しませんわ。た、例え……起きている時にされたとしても…………」
「え?…………え!?」
聞き返した瞬間に、ゴーーーン、と遠くから太鼓の音が響いて来た。
陰陽寮の太鼓の音だ。
開門の音であり、それ即ち、出勤の合図である。
「あ………光さま………いってらっしゃいませ」
そう言って、葵が頭を下げる。
伏せられた顔は、やはり真っ赤だった。
それに気づいて、光は思わず、ぎゅうっと心臓のあたりを押さえた。
あの祝言の夜のように。
ーーーだってこんなの、まるで。
自分のほっぺたを思い切りつねってみる。
幸せのあまり痛くなくて、光は不安になった。
あたりに響いた鐘の音は、もう止んでいる。
「………遅刻するな。でも、行きたくない………休もうかな?」
「………っ、だめです。早く………」
「待って葵。ちっとも痛くないんだ。ねえ、夢を見ているのかな………私を思い切り、ぶん殴ってくれませんか」
「〜〜〜っ」
ぴしゃんと部屋から出された光は、案の定、その日は大遅刻だった。
だが本人はそれどころではない。
「痛くない………痛くない…………痛くない………」
徒歩より遅い牛車の中で、ごんごんと車体に頭を打ちつけていると、外から惟光が仏頂面でジェスチャーを送って来た。
「口を拭え」のジェスチャーである。
「…………」
ぼーっとしたまま手の甲を滑らせて、光は途端に目を見開いた。
「え!?ええっ、う、うわああああ!」
手の甲に、見事に赤い紅が付いたのである。
「……………〜〜〜!!」
姫君の化粧のことなどいまだに何一つよくわからないが、葵の使う紅の色なら、分かる。
どんなに遠くからでも絶対、見間違えない。
舞い上がった光は乳兄弟に、喜び戸惑い感激不安の百面相を向けた。
「惟光。……ねえ、私は夢を見ているのかな。ほら見て!これが見える?」
「そりゃ見えますけど。だから言ったんです!見せつけてたんじゃないんですか?遅刻した上にそんなお顔じゃ、頭中将さまたちになんて言われるか………取れましたか、光さま」
「取れたかって?知ってたら、取ったりしなかったのに!んん、でも一体、いつ………あああああ、私の馬鹿!!記憶に刻み込んで、日記に書いて千年保存しとくのに!ねえ惟光、知らない!?」
「俺が知る訳ないでしょう!一体どこの世界に、主人と奥方さまの閨に忍び込む従者がいるんです!?ちょっと、そんなソワソワし過ぎないでください。不審です!」
「だって、だって。だって惟光………!わあああ!」
光が顔を覆って、ゴロゴロと転げ回る。
「……………。」
惟光は慣れた調子で、牛車の前を進む前駆の従者に先導の声を上げさせた。
言うまでもなく、主人の奇行を隠すためである。
光る君がいまだに平安京のスーパーアイドルでいられる理由のひとつには絶対、この惟光の苦労がある。
ああ、今日、家に帰ったらーーーと光は騒ぎ出す胸を押さえた。
葵に聞きたいと思ったのだ。
何をかといえば、それはもちろん………。
(私を、好きになってくれましたか、って…………)
その時の妻の顔を想像して、光は緩む頬を押さえる。
そんなだったから、光が夢を思い出す機会はだんだんと減っていった。
だから、惟光がこう言い出した時にも、咄嗟にそれが夢の記憶には繋がらなかったのだ。
御所からの帰り道、ひと通りぶつけまくったたんこぶが今になって痛み出し、夢ではなかったことをやっと確信した光は、我に帰って乳兄弟を見た。
「………ごめん。いや、これには訳が………お願い、私を見捨てないで」
惟光は苦笑した。
「別に、気にしてませんよ。いつものことでしょう。光さまがお幸せそうだと、母も喜びますから」
その声に何かを感じて、光は牛車から顔を出した。
「あれ、なんか、元気ないね。……私っていつも、自分のことでいっぱいいっぱいでごめん。何かあった?」
首を傾げ、そう、自分を心配する光に、惟光は確かにこう言った。
夢と同じ声で、同じ言葉で。
「言いにくいのですが………。実は近頃、母が病に臥せっていて……」
「えっ、なんだって!」
光は飛び上がった。
早速また牛車の天井に頭をぶつけたが、それどころではない。
惟光の母、大弐の乳母は光が最も懐いた乳母だったからだ。
この時代、貴人には乳母が複数つく。光にとってのもう一人は他でもない、大輔の命婦の母、左衛門の乳母である。
幼くして母を亡くした光にとって、彼女たちは何よりも大切な母代わりだった。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ。見舞いに行かせてくれ!」
そう叫んだ光は、早速惟光を伴って五条の下町へと車を進めた。
彼の実家がそこだからである。
細道に入れば、光や葵の暮らす三条とは対照的な、庶民の町が広がっていた。
檜垣に囲われた小さな家々が、軒を連ねている。
格子の高窓が上げられた向こうには、涼しげな白い簾がかかっていた。
牛車に乗ったまま入ることができる大門は、一つだけである。
惟光が苦心しながら鍵を開けて、光の乗った牛車を招き入れた。
家に入れば、惟光の家族が集まっていた。
兄の阿闍梨や妹の少将の命婦、父の三河守もいる。
皆、惟光によく似ていた。
彼らのそばで、体を横たえていた大弐の乳母は、光の顔を見て目を丸くした。
「まあ………なんということでしょう。もういつ死んでもよいと思っていたのに今日まで生きていたのは、あなた様が今日、こうして来てくださるからだったのですね。光さま……よく、このようなところへ……」
「言ってくれたら、すぐに飛んで来たのに。私にとって、あなたは母君も同じ。ここだけの話、私はこんなに大きくなっても、あなたと長く会えないでいると、いまだに心細い気がするんですから」
光の言葉に、大弐の乳母が微笑んだ。
その笑顔を見ながら、光は微笑みを返した。
「早く良くなってね。いつまでも長生きして、私が出世するところを見ていてください」
大弐の乳母は、目に涙を浮かべて頷いた。
狭い家に、光が差すようだった。
光り輝く神様が、ふっと降りて来たような………と、惟光はそこまで考えて、苦笑した。
初めて、この、主人でもある幼馴染に出会った時、まさにそう思ったものだったと、久しぶりに思い出したのだ。
家族皆が瞳を潤ませているから、同じようにそう見えているのだろう。
いつもはあんなのくせに、と揶揄いたいのに、光の手を取って嬉し涙をこぼす母の姿を見ていると、なぜか自分も、瞳が潤んでくるから困る。
光がそうやって乳母を見舞い、思い出話に花を咲かせ、こっそり妻の可愛さを語って、その帰り道。
牛車がゆっくりと進み出したその時になってようやく、光は「ん?」と首を傾げた。
惟光の実家の、すぐ隣の家。
小さなその家の前に咲く花に、見覚えがあるのだ。
白い簾の奥に、こんな下町には似合わない、裳を着けた女君たちの姿が見えて………。
「…………あっ」
気付いた時には、もう遅い。
枝も頼りない夕顔の花が、揺れている。
光の方へ揺れている。
キキキイーーーッ。
光は大慌てで車を止めた。それこそ、転がり落ちそうになるほど。
路地に耳障りな音が響く。
従者達皆がつんのめった。
「……………。」
また気が触れたのかと口をへの字に曲げて自分を見ている幼馴染に、光は全力で頭中将への遣いを頼んだ。




