第九十二句
「もう誰もいないのか……」
影狼は果てしなく逃げていく。このまま追いかけても逃げられるだけなので、能力に賭けることにした。地面に手を置いて強く押すとそれと相反するように壁が立ちはだかった。町全体を分断させるような、大きな隔てが。
一度両手で押してみたものの、びくともしないので諦めたような顔でしがらみと目を合わせた。互いにぶつかり合うほどの勢いで前に進むとしがらみはひらりとその場で止まって体を半回転させる。少しだけ足をかすりながらも着地すると目線を会わるように低い姿勢を取りながらクロスボウを構えた。一直線上に誰もいないのを確認してから射るとうまくかわされながら一瞬にして顔の前に現れた。引きながら新しい矢をセットすると壁に背中が付きながらも構えた。
怖がった様子のまったくなく足元にいる影狼がずっとこちらを見てくる。引き金を引く手に力が集まっていった。だがこの時間は影狼にとって茶番に過ぎないだろう。視線の先が引き金に集中していることから引く寸前まで焦らしてその時が来たらしがらみを噛むつもりだ。
(このまま言いなりにやるなんて嫌だね)
そう、自分を奮い立たせると引き金から指を外した。驚いた影狼の大きく開いた口に矢先を突っ込んで持ち上げる。逃げないように空いた手でしっかり押さえると、少しだけうえに傾け、月をバックに引き金を引いた。じわじわと溶け、自分の掴んでいるところが灰になるまでその体勢を保っていた。靴に降り注いだ灰をしばらく見て弔うと、商店街の入り口へ戻っていった。
紐がするりと解けた感覚と共に、影人は力をなくしていった。何が何だか理解できないまま、鞘を付けた刀の先端を後ろに回り込んでから首元に当てた。これで終わったのだろうか。と思ったつかの間、誰かが肩を叩いてきたので声にならない悲鳴を上げながらその場にうずくまった。
顔を上げると、申し訳なさそうな表情でしがらみがこちらを見ていた。
「す、すいませんでした……」
「いえいえ……」
気まずい雰囲気が流れていると、目の前にないはずの影が二人を覆った。また、あの影人が復活している。しかも始めに倒したもう一人もだ。前後で二人を囲むように立っている。よく見ると、二人とも頭の上に微かに透明な糸が揺らいでいた。
何かを見つけたらしく、友は隙間から指を刺した。指をたどっていくと確かにそこには、屋根に座っている影狼の姿があった。すぐに矢を持ったが、目の前に白い着物の袖が出てきた。真剣でまっすぐな瞳がしがらみを見つめる。
「僕が影狼をやります」
「でも――」
「体力、残ってないんですよね」
その言葉にハッとした。彼は人と関わらない分、人をちゃんと見ている。任せることにすると、両手で口を囲って耳の近くで話す体勢になった。何を話すのだろうかと思いながらも、もう少し耳を近づける。
「あ、あの、えっと、お願いがあって……」
「何?」
「えっと、その、うーん……」
どうやら言うのを相当ためらっているようだ。影狼たちも待ってはくれないので早く言うように催促すると胸に手を当てて呼吸を整えていた。
「あのっ!僕と。と、友達になってください!」
鼓膜が破れるかというくらい大きな声が出た。周りにも響いたので影狼に聞こえているに違いない。恥ずかしそうに顔をそむける友の隣でしがらみは――笑っていた。意外な反応にぽかんとしているのに、必死に説明をした。それも、笑いをこらえながら。
「あー!ごめんごめん。やっぱりそうだ!人の性格は憶測で決めちゃいけないね」
「の、能力で使うだけです!」
こうしたやりとりをしているが、二人は内心、とてもうれしかった。立ち上がったしがらみは手を差し伸べる。
「じゃあ条件付きでいい?」
「条件……?」
「それはね――」
背中を合わせて合図で動き出した二人に、影狼は焦らず影人を操作する。すると、いつのまにか後ろに来ていた友を見て一気に戦闘態勢に入る。
『誰をかも 知る人にせむ 高砂の』
やっとできた幸せをかみしめながら、和歌を唱えて刀を抜いた。
友の句能力:友達ができた分だけ攻撃力強化




