第七十九句
「僕はなんで認められない!」
軽くストレッチをしていた有明の横に雪が並ぶ。その表情は険しい。さっきの出来事によほど腹を立てていることがわかる。袖から手を出して指を動かすと、改めて和歌を唱えた。
『山里は 冬ぞさびしさ まさりける』
冬の句能力:触れたものを一時的に冬眠状態にさせる
いきなり大群の中に飛び込み、右手に持った刀で襲って来た影狼を押さえると軽く毛皮に触れた。するとどうだろう。ゆっくり地面に背中がついてそのまま丸まった。安らかな顔をしているのにも関わらず、雪は腹に刀を突き立てる。
ぽかんとしながら我に返った有明も応戦する。先ほど蹴鞠の爆発に巻き込まれて落ちてきた瓦に回転をかけながら投げると、分厚いのにもかかわらず腹を貫通しながら刺さった。じりじり近づいていき、冬に群がる影狼たちを刺していった。
だが、しばらくして冬の勢いが止まった。いきなり、手がだらりと下がったのだ。一旦引き下がった影狼の中で、一匹だけがぴったりくっついていた。手は再びコートに隠れてしまったがそれでもわかる。下に血だまりができており、瓦に染み込んでいた。特に左手がひどい。ひっかかれただけとも考えられるが、明らかに様子がおかしかった。
「なんで……」
「……冬君?」
「なんで、どうして僕は認められないの?ねぇ誰か、教えてよ!」
もともと赤みがかっていた目が、片目だけそれに黒い色水が足された濁った色になった。頬には大粒の涙があり、何やら近づけない雰囲気が漂っている。さっきまで快晴だったはずの空は雲に隠れ雨も降ってきている。一歩踏み出した途端、まだ生き残っていた影狼に服を引っ張られて動けなくなった。冬の方から近づいてきて何をするのかと思いきや、最初と同じ「恨み」と書かれたような顔で肩に顎が触れるほど近づいた。
すぐに離れ、何の違和感もないと思ったつかの間、腹に痛みが走った。冬の刀が自分の腹に刺さっていたのだ。息が荒くなりながら後ろに引くと足を踏み外し、屋根から転落する――。
有明は葉桜の木の上で目を覚ました。多少の傷はあるが、動けないことはない。起き上がると痛みはあったが包帯が巻かれていた。丁寧な処置だが最後のほうが乱雑だ。急に「ミシッ」という音が響くと木はたちまち倒れた。何とか着地して目線の先にいたのは、何匹もの影狼を引き連れた冬だった。さっきよりも目の濁りが広がってきている、これが噂の『影狼に噛まれた百人一魂』だろうか。
傷ついた手で有明を指さすと影狼が従順に牙をむきだしながら襲って来た。折れた木の中でも特に長い枝を折ると刀のように構えてぶつかり合った。一心不乱に振り、影狼の頭やら腹やらを刺していく。結われた髪がほどけ、顔や服に血が飛び散るほど必死になりながら倒していった。
その向こうにいる冬は頭を抱えていた。何をしているのかと考える時間もなく背中に爪が刺さった。じわりと血がにじむ感覚と共に皮膚がえぐられた痛みがして動くのもつらい。左にきた影狼の首を掴み、右に放り投げると肩を刺し、枝が塀に食い込むまでになる。後ろを向いて視界を覆いつくすほどに来たのを一振りで叩きつけた。
(キリがないっすね。多分、今の冬君は完全には毒が回ってない。この厄介なのをどうすればいいっすかね……)
影狼と距離を置いて後ろに下がると背中に塀が当たった。迫ってくるのに手足が動かない。そう思った時だ。自分の手を見て、覚悟を決めた顔をした。これは今までにやったことのないことだ。どうなるかわからない。思い切って塀に手を当てると、一瞬だけ光った。
だんだん傾いてきたのを避けると、逃げる方向に追ってきた影狼はたちまち下敷きになった。周りを見るともう残党はいない。冬が顔を上げ、こちらを睨む。
『沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の』
それは、聞いたことのない和歌だった。




