第七十六句
「君は優秀だね」
有明は自分勝手とまではいわないが、指示を出すと歩く速度が二倍くらいになって、もはやどっちが指示を出しているかわからない。冬はもうここに来てから五回は転んだ。影狼も一向に見つからないので塀の周りを右往左往するばかりだった。
(うぅ……絶対僕のせいだ)
冬には特殊な体質がある。それは『不幸体質』だ。どんなことでも一日一回は自分に不幸なことが起こる。元がネガティブ思考なのでその苦労は大きい。そして最大の不幸はそれに誰も気づいていないこと。有明に心の中で謝罪を繰り返しながらも捜索を続ける。
最近の影狼は人の多い場所を狙ってくるという話をもとに塀の中へ入ると立派な屋敷が連なって豪華な服をまとった者たちが歩いていた。ここも調べようとしたが後ろから大男が来て首根っこを掴まれ、ひょいと持ち上げられる。警備だ。
「おい、そこで何をしている」
目の前に寄ってくるいかつい顔が逆光でさらに怖さを増している。一気に体温が引いた冬は手足をじたばたさせて降ろしてもらった。
「す、すいません。家と間違えて……」
「家と間違える馬鹿がいるか!詳しく話を聞かせてもらう」
背中を震え上がらせながら隣に目をやるとさっきまでいたはずの有明が忽然と姿を消していた。周りを見ても人が多すぎて探せそうにない。慌てているところで手首を掴まれて連れていかれた。
「有明さーんっ!どこーっ!」
はっきりした、それでいて弱々しい声はどこまでも広がった。
「む、今何か聞こえたような……」
気のせいかと思いつつ有明は影狼探しに戻る。あんなことで時間を取られてたまるかと思って逃げてきたものの、冬を一緒に連れてこなかったのは失敗だった。罪悪感を抱えつついつもの笑顔になると道の真ん中で止まって目をこわばらせた。普通よりはゆっくりだが流れていく人々をその場で凝視する。注目したのはやはり“目”だ。影狼が化けても、影人でもその目は赤くなるはずだ。
しばらく見つめているとある女性の目が赤いことに気が付いた。微かに血の匂いもする。隣には男性がいて楽しそうに話していた。何か使えそうなものがないか探すと警備の槍が目にはいる。「すいません」と言ってから取ると躊躇なく女性の背中に突き刺した。あたりは騒然として有明に目線が向けられたが、その後すぐに女性が頭から溶けて狼の形になった。どよめきが周りに響く。
一人の女性の悲鳴から、全員が一目散に逃げ始めた。この人たちには悪いが、この方が都合の良い。いまだに残っており、立ち尽くしていた男性に目線を合わせて話しかけるとゆらりと動きながらその顔を上げた。――影人だ。
(変装した影狼に操られていた⁉いや、今はもう操ってるやつがいないからチャンスだ!)
槍の柄を影人に向けて突進すると、影狼はいきなりスイッチが入ったような動きと同時にそれを軽々と飛び越えた。
「なっ――」
手を後ろに回して槍を振るころにはいつの間にか後ろにいて、常に背中を取られる状態を保っていた。さっきの一瞬で別の影狼が操り始めたというのだろうか。強さからしてこの影狼は男性しか操っていないと考えられる。負けじとその腹に槍を当てたかと思うと後ろにあった建物に押し付けた。最後のとどめだという時にまた体がだらんとした。
不思議に思いながらとどめを刺す。あっけなくその場に倒れた男性の毒を抜いて後ろを向くとすでに髪に振れるほどの距離に影狼がいるではないか。体が硬くなりながらしゃがみ込んで右に転がり込み、鼓動の速さと息の荒さを感じながら着地するのを待った。
男性の目の前で降りた影狼は有明の方を向くでもなく男性の肩を噛んだ。しかもついさっき毒を抜いたところだ。再び立ち上がった男性の後ろに威厳を持ったように座ってこちらを見ている。
(人を都合よく使いまわすとは……本当に下劣な奴っすね)
もう一度突進した先は、影人――ではなくそれを飛び越えて後ろにいた影狼だった。




