第七十五句
「ここの藤はとても美しい」
「“藤”はあなたのものだ」
何やら真剣そうな表情で見つめ合っていた二人は、同時に口元を押さえて笑い出した。
「フフフッ、お久し振りです。いづみ」
「元気そうで何よりだ。かづら」
通称:いづみ
管理番号:027
主:藤原兼輔
かづらといづみは主同士が従兄弟であり、百人一魂ができた初めの頃から仲がいい。たまにこうやってかづらがいづみの部屋に訪れるのは館内にも知れ渡ったことだ。部屋に入り茶を出されると、それを飲みながら話し始めた。
「それにしても、僕たちが知り合った頃に作った合言葉をまだ忘れていなかったのですね」
「当たり前だ。何せ、私たちの主の歌から取ったのだからな」
――かの『後撰和歌集』には、定方が兼輔の邸に訪れ、藤の花を見たときの和歌が載っている。
かぎりなき 名におふふぢの 花なれば そこひも知らぬ 色の深さか
この、藤の深い色をほめた和歌に対して兼輔はこう返す。
色深く にほひしことは 藤浪の たちもかへらで 君とまれとか
『藤』とは、藤原のこと。深い色をしているのならば藤(藤原)に波が来ることのなくあなたに来るでしょう。という意味。両者とも有能な政治家であることから権力の大きさがわかる――。
「懐かしいですね。『主の真似』とか言って遊んでましたっけ」
「……それ以上深堀りするのはやめようか」
かづらが湯呑に口を近づけたとき、机に置いてあったいづみの電話が震えた。最初のコールが終わらぬうちに取られた電話の画面から、博士の低い声がする。湯呑を机に置くとその会話を静かに聞いていた。
「はい、こちらいづみです」
『仕事を頼みたいんだ』
「わかりました。どなたにしましょう」
『えっとね――』
庭に出てきたのは、白いニットにひざ丈のズボン、スパッツの上からコートを緩く着ている青年だった。重い前髪から覗く目は赤い。だがそれ以前に所々傷が見える。
(あぁ、最悪。自分の部屋から出ようと思ったらドアに足ぶつけてその拍子に開いてそれに気づかずこけるなんて……。そのうえ庭に出たら鳥に髪を引っ張られて痛かった……。さすがに気付くよね)
目の前にいた青年は汗を流しながらボールを蹴り続けている。どこで話しかけたらよいのか迷っているとそれを止めて手を振った。
「冬君もやるっすか?」
通称:有明
管理番号:031
主:坂上是則
「いや、僕はいいや……」
通称:冬
管理番号:028
主:源宗于
平安貴族の遊びである蹴鞠の衣装を身にまとった有明の輝いている笑顔を手で遮りながら、いづみに伝えられた仕事のことを話した。あまり話したことのない人だが、悪い人でないことはわかっている。袖を留めている紐を結びなおした後に部屋に戻って準備を始めた。
取り残された冬は姿見の部屋へ行こうと大きな窓の手前まで行くと、また鳥が戻ってきて頭をつつかれ始めた。追いかけまわされながら何とか逃げ切って部屋に言った頃には、有明は姿見の前で軽くストレッチをしている。ボロボロなのにもかかわらず「行こう」と元気に前進していく有明についていくことしかできなかった。
葉桜に変わった木の下では数人の男性達が楽しそうに笑いながら蹴鞠をしている。それを近くの木のそばから二人はそれを見ていた。身なりからしてくらいは高い方だろう。有明が目を輝かせていた。
「いいなぁ。俺も混ざるっ!」
「だっ、だめですよ!」
飛び出しそうになったのを必死に服を掴んで押さえると頬を膨らませて不服そうにしながら戻った。いまいちつかめない人だ。だが次の瞬間男性たちの後ろにあった兵から影狼が覗いた。目を見開いて武器を出そうとすると小さな石があって派手にこけた。
その上を有明が通過して武器も持たずに走っていく。注意する気力も起きずそれを見ていると驚いて蹴鞠を止める男性たちを脇目に桜の枝を折って和歌を唱えた。
『朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに』
有明の句能力:あらゆるものに武器としての性能を与える
影狼めがけて刺さった枝は綺麗に頭を貫通した。普通だとそれなりに強い力が必要だが力を込める様子は見受けられない。鈍い音を立てながら落ちた影狼はたちまち灰になり、桃色と緑色の混ざった枝だけが残った。額の汗を拭いながら男性たちに薬を渡して戻ってくる。
「ふぅ、危なかったっすね」
本当につかめない人だ、と冬はため息をついた。




