第七十四句
「藤原はあなたのものだ」
一年前――
「じゃあ二人とも、やってみて」
アイスピックのような武器を両手にして話していた雪の前には灰になった影狼がいた。あまりの速さに、千々は閉じない口をハッとして押さえると自分の武器である太極剣をぎゅっと握ると、正面で警戒してきた影狼目掛けて走った。ひょいと避けられ後ろに回られたのを追いかけるようにして体を向けると頭の上で剣を構え――
「しゃがんで!」
いきなりの指示に、躓きそうになりながらも体を縮こませた。その上をなにか尖ったものが通過していったと思うとそれは影狼の首元に刺さっていた。雪のアイスピックだ。逃げられてしまったのを急いで追いかけてなんとか倒すと、一気に疲労感がたまった。一匹でもこんなに苦労するとは。
「すみません、気づかなくて……」
「ううん。最初のうちは慣れないからね」
もう一人、子供らしい顔立ちをした青年がいた気がする。確か名前は、錦と言ったか。だがさっきから見当たらない。雪もそのことに気づき、周りを見渡した。するとどうだろう。さっきまで正面にいたはずの数匹の影狼はいつの間にか消えているではないか。その代わりのようにして、灰が風になびいている。
肩を叩かれたらしい雪は後ろを向いて目を見開いていた。髪や服に葉がついてあまり綺麗とは言えない状態の錦が最初と変わらない不愛想な顔で立っていたのだ。手に持っていた鮮やかな紅葉柄の槍には黒い血がついている。
「やってみましたが、どうですか」
「……すごいね」
二人が目を離した隙に木に登り、残りの影狼を倒していたのだ。初回だというのにできすぎているこのやり方にそれ以上の言葉が出なかった。
同時に千々は自分でもわかるくらい大きく眉をひそめた。胸にこみあげるこの感情を考えていたからだ。そばにいるはずなのに、二人はずっと遠くにいて自分はそれを鑑賞しているような気持ちになった。
(今考えるとあれは悔しかったんだ、その才能に嫉妬したんだ。……なんて馬鹿らしいんだろう)
そう自己暗示してもどこかで錦のせいだと考えている。あれから戦いを重ね、やっと最近は自分のやり方を見つけたと思っている。だがもう錦はそこにいない。一人での任務を頼まれるほどになっていたのだ。
机に両腕を置き、その中に顔をうずめていると扉がノックされる。静かにため息をしてから開けると錦がいて、いつもどこか遠くを見つめているような目が合ってしまった。
「千々君、相談なんだけど……」
「――何ですか?」
「実は、幼少期の主と会ったんだ。博士に報告した方がいいかな?」
「僕もわかりません」
全ての言葉が遠くて、一拍置いてからしか話せない。微かに震えている手を背中に回して見えないようにするのが精いっぱいだ。
「じゃあ連絡してみるね」
扉をゆっくり閉めると一気に体が軽くなった。輝いているような気がして顔が見れなかった。もう一度机に戻って顔を下に向けると自然と机に涙がこぼれていた。
「「主を見たぁ⁉」」
「そんな驚きますかね」
夢と山風は声をそろえて椅子から立ち上がった。そんな二人とは真逆のように周りの者は茶をすすっている。
「いやいや、だって主でしょ?僕たちの親であり尊敬して敬愛する主君をその目で見たというの⁉」
「逆に錦さんが驚いていないことに驚いてますよ僕は!」
「いいなぁ、僕も見たいなぁ」
「早く仕事来ないかなぁ」
早口でしゃべる二人を横目にふしが言う。
「博士には連絡したのですか?」
「うん。この二人ほどではないけど相当驚いてたよ」
奥のソファで寝っ転がるつくしと足を広げて座っている長月は何か話した後に周りを見渡したようだった。それに気づき、つられて二人も周りを見渡した。
「なぁ、かづらさんがいねぇんだけど」
「さっき部屋から出てった時は見たけどよぉ」
言われてみればかづらの姿がどこにも見当たらない。部屋にもいなさそうだったし、ここにいないのなら他に見当がつかない。ふと山風が今までの早口を止めて話した。
「かづらさんなら、あの子の所に行ったんじゃない?つくし君、かづらさんが出ていったときの表情は覚えてる?」
「あー、なんか嬉しそうだったな」
「それなら決まりだね」
つくしは長月と顔を合わせて首をかしげた。
窓の光が差し込む扉をノックするその手は、かづらだ。開くと思いきや奥からしっかりとした声が聞こえた。
「藤と言えば?」
フッと笑った後に答えた。
「 “波立たず”ですね」
ゆっくり空いた扉の先には、軍服のような身なりに左耳に雫のイヤリングが揺れる青年が立っていた。雰囲気がどことなくかづらに似ている。
「久しぶりだね。かづら」
通称:いづみ
管理番号:027
主:藤原兼輔
平安前期編 弐 《終》
これにて平安前期編 弐は終わりになります。番外編を挟んでから新しいところに入ります。




