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第七十三句

「私より優れているだなんて……」

 新しい槍を片手に森をさらに進んでいく。というのも、本物のタエが見つからないから続けているのだ。また人影が見えると思いきや、今度は三つあった。三人は変わらずタエの姿をしている。だが、中央の者だけ明らかに違っていた。見開いた紅い目、振り乱した髪、まるで夜叉だ。恐らく、誰が本物かということを試しているのだろう。


 ますます状況が分からなくて立ちすくんだ少年の隣にいた錦は迷うことなく前へ出て、次の瞬間には中央の者以外を刺していた。


「何して――⁉」

「君も見ただろう?一般人が化け物に変えられていくのを。影狼は人にうまく化けることはできるけど影人はそんなことできない。まぁ、操られていれば話は違うけど」


 目を向けると確かに二人は頭から液体へ変化して狼の形になった。騙そうとしていたのか。だが目線は勝手に錦の後ろへ移る。


「後ろっ!」


 華奢な見た目からは想像できないような力で首がだんだん絞められる。息が苦しくなってきた。両手で止めようとしても到底かなわなかった。足を前後に振り、だんだんそれを大きくしていくと女性の頭の上で一回転した。反動として手は離されたが、その首元には手形が付いていた。


 錦の予想は外れていた。もともと操られていたが、あえて何もしないことで油断させたのだ。すべては、錦に攻撃するためだろう。呼吸を整えている最中にも爪を立てて襲ってきた。間合いが取れず止めることしかできない。噛みつかれ、亀裂も入ってきた。柄のほうを腹に当たるように振ると何とか離れてくれたが、この槍も使えなくなりそうだ。


 少し離れたところから女性のもとへ跳び、空中で槍をしまいながら袖から出したのは缶のようなものにピンが付いた物体だ。口でピンを抜くと女性の目の前に置いた。後ろの木を蹴って情念のもとへ着地するとそれは音を立てながら爆発した。だが、女性は傷一つついていない。これは煙幕弾だったのだ。その代わりに視界が奪われ、姿が見えなくなった。


(さて、動きが止まった。ということは……)


 少年を片手に抱えた錦は静かに木へ登った。さっき蹴った、女性の後ろにあった木だ。予想通りそこには一生懸命に錦たちを探す影狼がいた。首根っこを掴んで目を合わせると容赦なく突き落とした。槍を空いた手で持って腹に向けながら降りると、刺すと同時に「プチッ」と糸が切れるような音がした。


 まもなく、煙幕が晴れる。操るものがいなくなったタエはうなりながらさまよっていた。首筋に手を当てるとあっけなく倒れた。毒を抜くとおぶって来た道を戻る。森から出ると、鬼の形相で少年の父親が立っていた。


「あ……父上……」

「おかえり」


 優しい言葉を覆すように強いげんこつが飛んでくる。泣くのをこらえながら頭を押さえていた。


「すみません、こんな時間をかけてしまって……」

「いえいえ、無事に戻って来たならいいですよ」


 お辞儀を一つして去ろうと思ったが、少年はこちらを見て止まった。


「貴方はっ!何者なんですか!」

「さあね」


 強い風が吹く。早く男性たちを家に帰し、怪我をした村人たちの手当てをしなくては。その時だ。


「 “阿呼(あこ)” 、どこにいたんだい?」


 その声は父親だ。今度は錦が止まって振り向いた。 “阿呼”と呼ばれたその少年は目を輝かせながら話していた。混乱しながら、朝日が差し込む森へ入っていった。





 部屋に戻ると、千々が茶を飲んでいた。話しかけようと手を胸の前で振ると、椅子からガタッと立ち上がった。


「あ……なんだぁ、錦さんか!ぼぉっとしてて気づかなかった!」

「あの、千々君……」

「僕、そろそろ用事があるから戻らないと。ごめんなさい」


 そそくさと扉を閉めた千々に、疑いが高まった。それより、さっきの少年だ。部屋に戻り、本を開く。


(主の幼少期……あった)


『菅原道真は幼少期“阿呼”という名でよばれており……』


 気のせいなんかではなかった。錦は、子供の姿の主と会ったのだ。今まで上がらなかった口角が、自然に上がってしまった。

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