第六十九句
「そんなばからしいこと、あるわけない」
どうやら女商人の名前は「タエ」というらしい。消えたのは三日前で、営業終わりに店の奥に入ったのを見てからどこにも姿が見当たらなくなっている。その翌日から次々と人が行方不明になっているそうだ。
「何を売っていたんですか?」
「そこまでは聞かなかったなぁ」
「ふぅん。まぁいいです」
集落に着くと、人だかりのある所を見つけた。相当集まっている。それをかき分けて進んだ先には何の変哲もない民家があった。少年は近くにいた者に事情を聴いていたらしく、急いで帰ってきた。どうやら、また行方不明者らしい。
コクリとうなずいた後に錦は民家の戸を開けた。いたって普通の家だが、開けた瞬間ツンと鼻を刺すような強い香りに包まれていた。後ろにいた少年と野次馬は声も出ないくらいに驚いている。冷たい視線を気にせずに戸を閉めた。
「待て待て待て」
「何?」
「『何?』じゃなくて、入るのおかしくないですか⁉」
「でも……」
そこまで言うといきなり野次馬たちが道を開けてきた。通ったのは立派な馬に乗った検非違使だ。蔑むような目が心までも見透かしてくるようだった。少年がその場を去ろうとするがその圧で一歩も動けない。その中でも錦は涼しい顔をしていた。
「この一件は我々が調査することとなっている。お前は何がしたい、不届き者」
「僕はただ真実を知りたいだけです」
馬から降りた数人の男達は錦の肩にぶつかりながら民家に入っていった。さすがに諦めてくれただろうと思ったが、いつの間にかその姿は見当たらない。
争った形式はない。どの部屋を調べても他の家と変わりないところはなかった。ただ、一点を覗いて――。鼻を突かれるような匂いが充満していたのだ。思わず吐きそうになるくらいに強いその香りに耐えながらも検非違使たちは調査を進めていた。だが、まったく進展がない。
調査中、目に留まったのは見覚えのある青年だった。障子の手前でしゃがんで何かを必死に見つめていた。目線の先には香がある。服の首元を掴んで持ち上げるとはっとしたような顔でこちらを覗き込んでいた。
「またお前か。いい加減邪魔を――」
「このお香、焚かれ始めたのは半刻(約一時間)まえくらいです」
その言葉に検非違使たちの動きが止まった。ゆっくり降ろされると錦は今まで見ていた香炉を指さして説明を始めた。
「もう隠れなくていいよ」
その言葉で出てきたのは少年だ。手には箱のようなものを持っている。
「これは、今焚かれているものと同じ香です。この子に頼んで近くにいた者に貸してもらいました。香の長さは十寸(約三十センチメートル)で、素材は竹でできているそうです。知ってましたか?竹のお香は長持ちするんですよ。僕、昔実験してみて……たしか一刻と半刻だったかな」
「何が言いたい」
「これと借りたものの長さを比べて見ると、七寸(二十一センチメートル)と少しばかり違いました。半刻でちょうど同じ長さになります」
『一分間で減る長さが三・七ミリでそれに六十をかけたら……』なんて説明する時間を考えていたら日が暮れそうだったので割愛した。ともかく、検非違使たちは納得してくれたようなのでひとまず安心だ。すると、少年が「ちょっといいですか」と少年が咳ばらいを一つして話し始めた。
「この香、どこで買われたものだと思いますか」
「どこって、店じゃないのかい」
突然出された問題に皆が頭を抱える。錦も買った店の話をしてくれとは頼んでいないので、驚きながらも考えた。ふと、脳内にいやな答えがよぎる。
「……タエさんのお店?」
「正解です」
勝ち誇ったような笑みで、また少年は話し始めた。
「借りた方の話によると、今までの被害者は今回を含めて全員タエさんのお店の常連客だったそうです。噂では、好意を持っていたとか」
これでますます、タエへの疑いが高まった。ただ無作為に体格のある男を狙っているわけではないのだ。でもどうやって、なぜそんなことを行ったのだろうか。二人は、前の被害者の家も訪ねることにした。




