第六十八句
「私は海の外を見たい」
「最初の戦い、ねぇ」
「覚えてんのか?」
部屋に戻ったつくしはリビングにいた皆に“最初の戦い”について聞いてみることにした。最初に話し始めたのはソファに乱れた体勢で座っていた山風だ。
「僕は花さんとだったなぁ。あの方は弱音も吐かないし、決して夢に酔わねぇから尊敬できるよ」
「……なんだか寒くなって来たので窓閉めますね」
ふしが真後ろにあった窓を閉めたところで、椅子の上で足をぶらぶらさせていた夢が錦に目を向けた。相変わらず難しそうな本を手に何かつぶやいている。
「錦さんは?」
「……ん?あ、僕はねぇ……誰だっけ」
「覚えていないのですか?」
「いや、千々君と一緒だったことは覚えてる」
一気に注目を向けられた千々は両手を胸の前で握りながらゆっくり話した。
「え、えっと……雪さんでしたよ」
「あ、思い出した」
千々の言葉にはいくつか含みがあった。だが、そんなことされも気づいていなかった。いつの間にか長月は部屋にいたようで、反対向きの椅子が戻されていないままだ。ふと、千々の懐から携帯が出された。さっきまでにぎやかだった部屋がシンとして、二人の会話に耳を傾ける。
「はい」
『今、電話しても平気?』
「何でしょうか」
『錦君に仕事を頼みたいんだ』
「はい。もう一人は――」
『いや、今日は一人で大丈夫だよ』
「……わかりました」
一拍置いてから返事をした。表情も声色も変わらないままだ。その代わりとして膝に置いた手が服の布をぎゅっと掴んでいた。電話を切ると立ち上がって自室に向かう扉のドアノブに手をかけた。振り向いた顔は優しく笑っている。
「錦さん、一人で仕事だそうです」
「そうなんだ。準備するよ」
決して強くとは言えないが、錦が立ち上がったと同時に千々が扉を閉める音に誰もが不信感を持った。それを追うように錦も部屋に入っていった。
(千々君、明らかに様子がおかしかったな。なんでかはわからないけど帰ったら聞いてみよう)
姿見の先には一軒の立派な家があった。家の廊下では一人の男性と向かいになって複数人の者が座って話を聞いていた。
「漢皇重色思傾国 御宇多年求不得――」
(白居易か)
どうやらこの家では勉強会のようなものが開かれているらしかった。しばらく見つめていると、不意に袖が引かれる。顔を向けるとそこには少年が険しい顔でいた。
「ここに何の用ですか?」
「いや、特に何も。君は?」
「私はこの家の者です。父上の授業を邪魔しようと思ってもだめですからね!」
この少年の父親は一人漢詩を読んでいるあの男性のようだ。早速不審者呼ばわりされてしまったのに困りながら、影狼を見つけようと去ることにした。どこに行こうかと迷っているときに通りすがった者たちの会話からおかしなものが聞こえた。
『狐』の噂だ。それを話していた二人の女性曰く、最近一人の女商人が姿を消したという。そこから次々と人が行方不明になっていくなんて怪奇現象が起っているらしい。それも、すべて体格のいい男性だ。狐にでも化かされてしまったのだろうと、震えあがっていた。
「妖の仕業だなんて、馬鹿らしいですよね。あなたも信じない方がいいですよ」
「もっと詳しく話を……」
錦は吸い付けられるようにして女性たちに詳しい話を聞きに行こうとした。もしかしたら、影狼がかかわっているかもしれない。すかさず少年が袖をつかんだ。
「ちょっと!何やってるんですか!」
「ちょっと面白そうだから聞きに行こうと思って」
「絶対に人のせいですよ!」
「僕が気になるだけだよ。君が止める必要はないでしょ?」
この言葉が相当刺さったようで、少年は黙り込んでしまった。悪いことをしたなと思いつつも女性たちの所へ向かう。
ひとまず、行方不明になった男性たちの家に行くことにした。この道の反対側にある集落を目指して道を戻ると、さっきの少年がひっそり後を追ってきた。
「……私も行きます!」
「え、さっきまで興味なさそうだったのに?」
「あ、あなたが心配だからついていってあげますよ」
明らかに興味を持っていることを察しながら、今まで女性たちに聞いたことを伝えた。二人は、町に向かった。
千々は一人、部屋の床に丸まっていた。声がこもっていて聞こえないが、ようやく見えた顔は涙目で過呼吸を起こしている。
「超えなきゃっ、超えなきゃいけないのに……どうして……」
あまりにもひどく取り乱しているその声を、皆は扉越しに聞いていた。
こちらの事情により、とんでもなく投稿時間が遅れてしまいました。これからもこういうことが多いと思うので、ご了承ください。




