第六十五句
「違う、俺はやってない!」
一気に体が凍った感覚がする。つくしが変身したはずの狼までこちらに牙をむき始めた。さっきまでの戦いで体力が削られている。戸惑いを押さえきれなくなりながらも、ため息をついて和歌を唱えた。
『筑波嶺の 峰より落つる みなの川』
(俺は裏切られてもいい。ただ今は、この状況を楽しむだけだ)
影狼に見せびらかしたその笑みは、もはや狂気とも思えた。
心臓の音が鼓膜のそばにあるくらいにうるさい。つくしはわかりやすく焦っていた。ただ、影狼に油断させて手伝おうと思っただけだがまさかこんなことになるとは。身の毛のよだつくらいのその顔に恐怖、そして――淵の戦いを見た時と同じワクワクがこみあげてくる。
淵がやつれた顔に戻ると正面の影狼に目を付け、突進していく。あまりの速さに何もすることができず左から顔を蹴られた。首根っこを掴まれると集団のクッションに投げ込まれた。一瞬にして動かなくなった影狼を見ながらも近づいてくる淵に縋るように爪を立てるが、もはや武器を使わずに手足を使って蹴っては投げ、殴っては木に当てるを繰り返した。
度々倒す前の影狼には顔を覗き込むような動作をしてから倒していた。見れば見るほど、自分も戦いたくなってきた。毛皮がだんだん溶けていき、粘土の姿になったのちにそれは蔦を伸ばし、棘が作られ、つくしは薔薇に姿を変えた。隣や、周囲にいた影狼を絡めとって絞めると不必要なところだけ元の姿に戻った。左手の肘から先が蔦となり右手に刀を握った。
「動きは止めた。早くやっちまえ」
「わかった」
首やら腹やらを絞められながら淵の前に移動させられると、過呼吸が止まらなくなった。口を隠していた右手が外されてあった笑顔で悶絶していると、一瞬首に冷たいものが通った。気づいたときには自分の体が横たわっているのを見た。それには首がない。さっきの一瞬で、つくしの刀に首を斬られたのだ。それからすぐに、目の前が真っ暗になった。
『恋ぞつもりて 淵となりぬる』
淵の能力が切れても、いまだに背中を震わすつくしに引きながらも、事情を聴いてみることにした。小さな声で「手伝いたかった」と言っていた。これに嘘は見受けられないので、本当に手伝おうとしてくれたのだろう。やり方が荒いと思いつつ、次からは言うようにと注意した。
これで大体は片づけられただろう。だがまだ、木の上に吊り下げられた者たちを下ろす作業が残っている。つくしは面倒そうな態度をとりながらもやってくれた。木に飛び乗り、腕に触れようとしたその時だ。そっぽを向いていたはずの顔がこっちに向いてきて手に向かって大きな口を開け――
「っ――触れたらだめだ!」
響く声でその場にいる全員が動きを止める。その次の瞬間には全員が目を覚まして二人のいる木に縋るようにして登り始めた。完全に判断を見誤った。これから影人にする人だと思ったら、もう影人になった人だったのだ。行動が速いことから操っている影狼は数匹いる。木から降りて中央に集まるが、降りてくるのも時間の問題だ。
ふと、つくしが「合図をしたら軽くジャンプしろ」と耳打ちしてきた。事情はよくわからないがしゃがんで刀を横に構えたところで予測がついた。「せーの」と小声で聞こえると同時に軽く膝を曲げて跳んだ。すると、その下に刃が通るのが見えた。少し遅れてから周りの木が数本ひどい音を出しながら折れてきた。
つくしは低いところで素早く刃を振ることで木に切れ込みを入れて倒れるようにしたのだ。ジャンプしろと言ったのは間違えて足を切ってしまわないようにするためだろう。下敷きになった者もいたが、ゆっくりだったので命に影響はない。刀をしまうと指の関節を鳴らしたが、淵は肩をつついた。
「さっきみたいに、影人を拘束できるようなやつに変身できるか?」
「お安い御用だ」
地面に両手をつくと手だけが形成され、丈夫な――葡萄の蔓へとなった。




