第五十八句
「後任は、君に任せるよ」
ちょうど姿見の前にかづらがいて、その背中には女性がおぶられていた。こちらにも気づいたようで女性を下ろすと手を振りながら近づいてきた。
「千々さん」
「かづらさん、大丈夫でしたか」
「はい。……その、なんだか物騒なものを持っていますね」
ノコギリ五つを手に持って顔が血まみれの千々は、何も知らない者から見たら怪しすぎる。今更気づいたのか、慌てながらノコギリを背中の後ろに隠して顔の血を拭った。かづらの記憶は間違っていなかった。質素な門を潜り抜けると村が広がっていて、少し手分けをして捜索していると二か所ほど荒らされている部分があった。民家と仕事場のようなところだ。女性を民家に寝かせ、五つだけなくなっていたノコギリを元の場所に戻したがそれで解決とは言い難い状況だった。
一つ、女性の家には三人分の靴があった。女性は靴を履いておらず近くにも落ちていなかったので、三人家族なのだろう。顔立ちや背丈からしてまだ十代なので彼女の両親に違いない。だが、その姿はどこにも見当たらなかった。
二つ、仕事場の近くには同じような外観の家が並んでいて、そちらも荒らされていた。一軒一軒確認したものの誰一人いなかった。
お互いが見た状況を話し合ったところで軋んだ音が聞こえてきた。音のした方へ向かうと門が閉鎖されているではないか。外側から鍵がかかっていて開けられない。境にある壁も高いのですぐには登れないだろう。何か使えるものを探していると、急に目の前が暗くなった。影の色が全体に広がっているようだ。
月光が雲に隠れた、なんて思いもせずにそれぞれの武器を構えるとやはり赤い目をした人々がこちらをまじまじと見つめているではないか。煤だらけの男性たちの先頭にはつぎはぎの着物をまとった男女が並んでいる。さっきの女性の両親だ。千々もはっとしていたので、後ろの男性たちは言っていた大工たちだということがわかる。
「正真正銘の影人ですね」
「はい、傷つけないようにしましょう」
まずはかづらがサネカズラを出し、人々に巻き付くように伸びていく。だがそれよりも早く逃げられた。むやみにやってしまうと大変なので一番多く逃げている方向を中心に移動しながら操った。さっきのように歯向かってくるような雰囲気はないので操られているとしても影狼はあまり多くない。かづら自身も銃を常に構えながら壁沿いに進んでいった。
少数は千々が追いかける。三人の大工はよく鍛えられた身に合わない逃げ方をしていた。足音が一切響かない走り方と障害物を避けるときの跳び方は例えるなら兎だろう。それでも追いつかないわけではない。しばらく並んだ背中を見つめていると自然と千々も同じ走り方を真似して、手を伸ばせば触れられるくらいにまで差を縮められた。
正面に壁が見えてきたので、今の状況的に曲がるはずだ。少しでも遅れて隠れるなんてされたらどうしようもないので息を深く吸ってから両足の裏を壁につけてそのまま走った。少しばかり速度を上げて抜かすと角を飛び越え、向かい合わせになったところで足を止めて着地した。今まで勢いで走っていたので違和感はなかったが、急に止まったのでめまいがした。
先頭の、いかにも「親方」という雰囲気の男性は両手を広げて足を止めずに突進してきた。避けるには距離があまりないので対抗するように両手を広げて取っ組み合いの姿勢を取った。しばらく両者譲らない状況が続いたが、急に目を見開いた男性は右膝を千々の体に突き刺した。痛いなんてものではない。骨すらもすりつぶされそうになって手を離すと必死の抵抗で剣を向けた。
爪を向けられた途端、腹を押さえながら両足で壁を蹴って今度は前に跳んだ。真上というわけにはいかず、頭突きを食らわせてから一回転して着地した。微かに額からは血が出ている気にする必要はない。刃を鞘に納めて大工たちをにらんだ。




