第五十一句
「お前なんて嫌いだ!」
目をつぶってしばらく待ったが、何も起こらないではないか。長月は恐る恐る目を開けた。最初よりもふらふらし始めると、その小さな体が前に倒れてきた。
黒髪を地面につけないように体を持ち、木の下に寝かせる。寝息を立てているのを見ると立ち上がって横に目を向けた。
「おいお前、なんでここにいるんだ」
目線の先では山風が両手を頭の後ろで組んで歩いている。優越感に浸っているような顔をしていて、自然と腹が立ってきた。
「さあね、君が能力でも使ったんじゃないの?」
それは確かに事実だ。何も言い返せず、歯を食いしばりながらその顔をにらんでいた。
長月の句能力:言ったことが嘘になる。
長月は言ったことを嘘にできる。だから、わざと「負けた」なんて完敗宣言をしたのだ。どんなシチュエーションでも負けることはないが、それが山風が助けに来るなんて思いもよらなかった。そう、斬られる直前で山風が操っていた影狼を倒し、気絶状態だった女性が戦うのをやめたのだ。信じられないが、この人は本当はすごい人なのかもしれない。頬を軽くたたいてそんな考えを消した。
「それにしても、長月君を探そうと移動していたら屋根に影狼がいて、倒したらいたなんてラッキーだね。今までここにいたの?」
「んなわけねぇだろ!」
「あれ、『迷子になったらその場で待機する』って聞いたことあるからてっきりそれかなって」
「誰が迷子だ!」
もうこの周辺にはいなさそうだ。山風も途中に影狼は見なかったと言っていたのでもういないのだろう。帰ろうとして姿見に行くと、やはり鍵がかかっていた。疲れ切った二人には苦痛なことだ。早く探さなければ。空を見ると明るくなってきている。人一人でさえ影狼は有害なので人の多い場所にいると厄介だ。歩いていると建物の前で老人が掃除をしていた。
「すみません。僕たちは異国の者なのですが、ここに黒い犬のようなものを見ませんでしたか?」
「はぁ……見てませんね」
「……行くぞ」
こんな老人と話して何になるのか。長月は立ち去ろうとしたが、山風が服を掴んでその場で止まるように目を合わせた。仕方なく二人の会話に耳を傾けた。
「そういえば、貴方もしかして新人さんですか?」
少し目が動いたかと思えば、老人はそのまま話を続ける。
「何を仰いますか、この見た目からわかるでしょう」
「それでは、その尻尾は?」
良く後ろを見ると確かに尻尾が揺れている。まさかこれを分かっていたうえでこの老人に話しかけたというのか。
「僕はね、違う話をしているんですよ。貴方が宮中に来て間もないのではなく、影狼として仕事を始めたのが最近だということです」
あっけなく正体がばれた影狼は本当の姿を現し、大きく吠えた。今までの影狼とは一回りくらい小さいが、その遠吠えをする声は他と変わらない。すぐに集まってきたのは周辺にいた人だ。いままで各々の作業をしていたのに、二人を囲んできた。まさか、これが全部影狼なんだろうか。
頭から黒い液体として溶けていった人々は狼に変身した。無数の目がこちらをにらんでくる。山風はまた能力を発動させると右手を目の前にあげて右から左へ移動させた。遅れてぶわっという音と共に今までにないくらいの強風が影狼たちを吹き飛ばした。
強く壁にぶつかったが、それごときで倒れるような連中ではない。それを皮切りにぞろぞろ足元に影狼が群がってきた。前にいる影狼から腹に風を持ってきて後ろに吹き飛ばすがまた次が来る。いよいよ山風にも余裕がなくなってきた。
「長月君、攻撃できるか?」
「いや駄目だ、数が多すぎてさばききれる気がしない!」
逃げ場のなく焦るばかりの二人は、今まで後ろで動かずにいた小さな影狼を忘れてしまっていた。




