第四十九句
「アイツは残念だな」
「おい、これを飲め。物の怪の呪いが残っててもいいのか?」
少し脅したような口調だったが、いつも通り記憶をなくす薬を渡す。縋るようにそれを飲むとそそくさと逃げていった。
「さすがだね」
「これくらい一般人でもできる。まぁ、俺の武器は特殊だからな」
長月の刀の刃には鉄が使われており、側面のボタンを押すと電気が流れる。短刀とスタンガンの二刀流だ。さっきの男性たちは服装を見るところ警備だろう。
影狼は気づかれないように忍び込んできたというのか。どうやって。考え込みながら歩いていると、いつの間にか前にいた長月が消えていたことに気が付いた。
「どこ行ったの⁈」
先に行ったのかと思って歩く速度を速めたが、一向に見つからない。大きな建物がどこまでも続いており、同じ景色をぐるぐると周っているような気がした。だがだいぶ遠くまでに来た時に長月がいつも着ているズボンの赤が見えた。あそこに影狼でもいたのかと疑問に思いつつ建物と建物の隙間に顔をのぞかせた。
「見ーつけた……」
茶目っ気のある声で言った途端に、それが長月ではないと瞬時に理解した。別の人だ。赤い着物を着て建物の壁にぐったりと寄りかかっている。そして何より最初に目に入ったのは首に付いた二つの点だ。そこから血が流れている。そしてやはりあの着色料だ。
ポケットからポイズンリムーバーを取り出して首に当てた途端、右手首が強くつかまれた。普通の人間では出ないような力で血管自体が掴まれているようだ。いつもの笑っている顔が急に真顔になる。別に敵意は見えないが、目を見るたびに冷たく鋭い針が胸に刺さっていく感じがした。
『吹くからに 秋の草木の しをるれば』
山風の句能力:強風の作成・操作
しっかり握っている手がひんやりとし始め、やがて手がこじ開けられた。かけている力は最初と同じなのに、反発される。まるで風が自分に触れるのを遮るように。そのうちに山風はその赤くなった手首を顔に近づけ、ため息をつく。
「あのさぁ、痛いんだけど。こっちは裏切られた末に傷つけられて」
人差し指を屈強な手に向かって指し、クイッと上げるとその反発はなくなった。男性はひょいと山風を飛び越えて隙間の入り口につくと、爪をむき出しにしながら近づいてきた。閉じ込められたのだ。数メートル先に細い光が見えるのであれが反対側の出口だろう。だが行ったとしてもまた別の影人が待ち構えている可能性がある。能力を使わずに飛び出していたら今頃は倒れていただろう。
足元には葉が落ちている。能力を使わなくても肌寒く感じるので、秋の初めで刃が散ってきているのだろうと思った。それなら、と隙間に落ちていた葉をすべてかっさらって頭の上で何回もかきまぜた。するとどうだろう。鮮やかだった葉の色がたちまち濃く、暗い色の枯れ葉になってしまった。
人差し指を勢いよく影人に向けて指すと一斉に飛び込んできた。少し回転をかけながら追いかけてくるその葉は着物のそばを通ると布を切ってしまった。風に押されて相当速くなっている。着物やら肌やらを傷つけられてもなお立ち上がって進む男性は、どう見ても操られている。
(人を操る影狼だ。皆の言っていた通り操っている影狼を探して倒した方がいいな)
根本を探すにはまず表面からだ。男性に強風を当てると案外弱い力で動いた。しかもとても不自然だ。強さを最大限にするとふわりと宙に浮いてまた戻ってきたが、着地する前に着物の何か所が引っ張られているように見えた。引っ張られる動き――ということは上から操られているのだろう。風で体を持ち上げてゆっくりと上がると屋根にその姿が見えた。驚いた顔をしているので様子をずっと見ていたのだろう。
屋根に足を着けるとソフトガンを取り出した。中に入っているのは弾丸、ではなくBB弾だった。風を操れる彼にとっては実銃ではなくBB弾でも同じくらいの速度や攻撃力を出すのはお茶の子さいさい。体に埋め込むようなくらいの強さであたり、影狼は咳き込む。
地上で重いものが落ちた音がしたので男性が解放されたのだろう。急ぐことなく近づくと蹴りを入れて屋根から突き落とした。




