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第四十句

「私は、誰なんでしょうね」

「やぁ海人君。脅かしてごめんね~」


 海人の背中を蹴ってきたのは高嶺の膝だった。多分、入るときに塞いでしまっていたのだろう。後ろで心配そうな目をしているしだりとも顔を合わせ、その場で土下座の体勢を取った。


「ご……ごめんなさい!」

「んー、いいよ。それより、雪さんはどうしたのさ」


 「えっとですね」という前置きをしてから、雪が暗い森の中へ入っていったことを説明した。二人は顔を見合わせてうなずく。


「ありがとう。それで、その森はどこらへんかわかるか?」

「えっとぉ……あ、それなら僕の能力使いましょう!」


『わたのはら 八十島かけて 漕ぎ出でねば』


海人の句能力:人と人の位置を入れ替える


 もし戦闘中だったら両者に申し訳ないが、大けがをしていたら大変だ。雪だったらそれでも続けることは大体予想がついている。手を振りながらこちらを見ていた二人の代わりに、体中切り傷だらけの雪がやってきた。


「雪さん⁈」

「――あぁ、帰ってきた」


 膝を曲げて戦闘の姿勢を取りながらしていた張り詰めた表情がへにゃっと崩れ、そのまま前へ倒れこんだ。





「ここは――」


 しだりが言いかけた途端、何本もの枝がこちらに勢いよく向かってきた。高嶺は武器の鎖鎌を出し、先端の鎌で枝を切って何とか防ぐことができた。が、すぐに再生される。小さく舌打ちをすると後ろに振り返って森の入り口へと逃げた。


「あれは……」

「根本から切らないとすぐに再生される。周りに葉っぱみたいなものもあったけど多分あれも危険だ」


 息を切らしている高嶺に首を振る。何が言いたいと睨んでくる目を見ながら、しだりは言葉を訂正した。


「俺は、その奥に違うものが見えた。……箱?のようなものがあってそこからあの蔓みたいなものが伸びている気がしたんだ」


 しだりの言葉は確かではないが、調べる価値はある。呼吸を整えてから再び森の中へ進んでいく。さっきよりもスピードを上げてどんどん奥へ突っ走るが、やはりあの黒い蔓には勝てそうにない。急に振り返って蔓を動揺させるとしだりは打刀と短刀で蔓の先端を斬り、再生するために動きが止まったのを確認すると鎖鎌の鎖でなるべく根元のほうを縛った。


 まるでかのヤマタノオロチのように、その首を四方八方に動かしているところが何とも気持ち悪い。しっかり縛ると一本をたどってどこから伸びているのかを探した。多分蔓はあの七、八本で全部だ。追いかけてはこないが油断のできないままふと前を見ると、そこには異様な景色が広がっていた。まだ冬の最中らしいのに目の前に立ちはだかった二本の木は大量の葉を茂らせていた。しかも、夜の真っ暗闇に溶け込むほど黒い。二人は一気に現実から離れたような気がした。


 だが、それをもっと強く感じさせたのはその奥だ。しだりが言った通り、箱のようなものからあの蔓が伸びている。もう少し近づけるだろうか、足音を立てぬように近づくと思わず息をのんだ。


「やっと見つけた」

「紅葉……?」


 箱の中にいたのは紅葉だった。そこを埋め尽くすほどの桃色の花の布団に縛られ、両手を胸の前でクロスしていた。しかもこれは箱ではない――棺桶の形だ。棺桶全体は先ほどと同じ蔓でぐるぐる巻きにされて木に立てかけられている。まるで紅葉が出ないようにしているようだ。紅葉はいつも通り安らかな顔をしていたが、決定的な違いがあった。頬のあたりに小さな黒い穴が見えたのだ。よく目を凝らすと亀裂が見える。いったいこれはなんなんだ。


「紅葉君、起きろ」


 混乱しているのは高嶺も同じらしい。何度もそう呼びかけていた。三回ほど呼びかけると細く目を開け始めた。


「……」

「大丈夫か⁈」


 しだりが一歩近づくと目を見開き、険しい顔をした。


「――近づかないでください」


 急な冷たい言葉に体が固まった。よく見るとその目は影狼と似た鮮やかな赤い目だ。表情も普段より怖く感じる。


「ここは危ない。早く帰ろう」

「嫌です。僕は帰れません」

()()()っ!」

「やめろ゛っ!」


 聞きなれない低い声と共に棺桶から新しい蔓が生え、高嶺の脇腹に殴りかかった。「かはっ」とかすんだ声を上げてから少し離れたところまで飛ばされる。高嶺を助けに行こうとふと紅葉のほうを向くと、パキパキ音を立てながら顔の亀裂が広がり、たちまち右頬から顎までがガラスを割ったときのように飛び散っていた。


 ようやく見つけたのは五メートルほど先の茂みの中だ。幸い、大きな青あざができただけだが高嶺の手は相当震えていた。


「多分あれが来るのは、彼の名前を呼んだ時だ」

「どういうことだ」

「同一人物ということは、紅葉君を創ったのもしだりさんの主になる。ということは紅葉という人を消してしだりさんの心の中だけにいる存在になろうとしているんだ」

「っ……そんなのただの伝説だ!」

「伝説でも信じるかはその人次第だ!この状況を仕組んだヤツはそれを信じてるんだよ!」


 同時に大きなため息をつく。ここで言い争ったところで紅葉が助かるわけがない。そんなことはわかっていた。


「とにかく、彼の存在をほのめかす発言はしないほうがいい。行こう」

「あぁ、すぐに終わらせる」


 少し雰囲気が悪くなったものの、すぐに立て直して再び紅葉の所へ向かった。変わらずに細く目を開けているがこうやって見ているうちでも亀裂が広がってるような気がした。敵は先ほどできたばかりの一本の蔓だろう。縛ったのはもうピクリとも動かない。高嶺は懐からポイズンリムーバーを取り出して一つをしだりに渡した。きょとんとする顔のしだりに仕方ないとでも言うような顔で説明を始めた。


「さっきも言っただろう、紅葉君にあるのは“毒”だ。それで毒を抜けば多少は落ち着くはずだ。……まぁ、完全に抜けるかはわからないんだけど」


 うなずくと高嶺は木の周りを大きく離れて森の奥へ消えていったと思うと、棺桶の後ろに姿を現した。多分、しだりが攻撃を仕掛けて集中したときに後ろからリムーバーを刺すつもりなんだろう。太刀を構えなおすと正面から突撃した。紅葉を守るように蔓がぶつかってくるがしゃがんでなるべく根元を斬り、流れるようにして近づいていく。手を伸ばし、肩に触れようとすると涼しい顔が揺らいだ。


「なんで助けるの?」


 影狼に噛まれると主の本性が現れる。今まで話していたのは猿丸太夫なのだろう。だが、この言葉だけは紅葉が言っているような気がした。多分、自分が暴走してしだりたちに怪我をさせたくないのだろう。伸ばした左手の力がだんだん弱まってくるのを感じる。


 右から高嶺の影が見えたが、それより先に後ろから蔓が来た。微かにした鉄の触れ合う音から高嶺の鎖鎌が外れた音だろう。何かの拍子にほどかれてしまったのだ。背中に何個もの痛みが走る。高嶺を見ると腹に刺さる寸前の蔓を手の精一杯の力で止めているがすぐに限界は訪れた。体を横にして仰向けになると手を離し、前に突き進んでいるうちにこちらへ逃げてくる。すれ違う一瞬で太刀を渡すと高嶺は慣れない手つきで縦に振った。先端だけは刺さったままだが、木の後ろへ隠れられるくらいの時間はできるだろう。高嶺の背中を目で追いかけながら縋るように木の後ろへ隠れた。


 傷はそれほど深くなかったが、出血と痛みは止まらない。高嶺も必死だったようで顔の所々に切り傷が見える。袖を包帯代わりに体に巻き付けると太刀を返してもらおうと手のひらを出すが、一向に返ってこない。


「君は大けがをしているんだから、安静にしてて」

「でもお前は……」

「僕の武器を取ってきてほしい。鎖がバラバラだったら、鎌と鉄球だけでいい」


 鉄球には爆竹が入っているからそれを使えばいい、と高嶺は言った。足はまだ使えるのでしぶしぶ承諾すると、同時に木を飛び出した。





(さて、大変なことになったな)


 高嶺は太刀を振りながらしかめっ面をした。いつもの影狼ならすらすらと倒せるのに相手が人で、しかも仲間だから攻撃しにくい。ふと紅葉を見ると、何も言わなくても亀裂がどんどん入っていることに気が付いた。もう姿を見られるだけでも存在を証明するということになっているのだろう。無数の蔓から逃げ、紅葉に近づきながら根元を斬る。また再生には時間がかかるだろう。しめたという顔を見上げると、それと対照的な見下した目が飛び込んできた。


 冷や汗をかく。決して、その何とも言えぬ大きな圧に押しつぶされているだけではない。さっきまで十メートルはある蔓と戦っていたのだ。半分以上斬っているなら時間がかからないわけがない。なのに――たった今自分の腹に深く突き刺さっているではないか。それも、みぞおちに少しだけ当たっている。そこから強烈な痛みがやってくるのは遅くなかった。手を震わせながら左手で蔓を押さえ、少しずつ切っていく。うまく力が入らなかった。


(蔓が知能を持ち始めた。人がいる距離で成長を止めたのか……)


 腹を押さえながらその場でしゃがんだ。動いたり喋ったりしたらもっとひどくなるに決まっている。血の染み込んだワイシャツを握りしめながら思い出したのは目の前にいる者のことだ。


(懐かしい、たくさん実験に付き合ってもらったなぁ……えっと、あれ?)


 走馬灯のように出てきたそれにすぐ違和感を持った。


「……名前が……出て、来ない」


 確かに知っている人なのに、名前が一文字も思い出せないのだ。他の百人一魂の名前は当たり前のように言えるのにこの目の前の少年だけどうも思い出せない。そもそも百人一魂だったかすらもわからなくなってきた。


(この人の存在が消えてきている、早くしないと完全に忘れるかもしれない)


 高嶺は咳をしながらしだりの行った方へと顔を向けた。





 しだりに課せられた仕事は難なく終わった。鎖は壊れてそこら中に飛び散っていたので言われた通り鎌と鉄球だけ持って戻った。するとどうだろう。太刀で数本の蔓を押さえている高嶺と顔の半分がなくなった紅葉がいるではないか。しかも高嶺は座り込んでいて、絶対に何かがあったに違いない。短刀を握ると高嶺と蔓の間に割り込むようにして先端を斬った。


「大丈夫か⁈」

「……」


 何か話しているようだが、小さくて聞こえない。しゃがんで耳を澄まそうとした瞬間、いきなり袴の裾を引っ張られて転んだ。後ろから蔓が来ていたのだ。しかも、斬った瞬間と長さが変わっていない。また強くなってしまった。直進した蔓は高嶺の肩やら頬やらを通り過ぎ、ただでさえ重症そうな彼をもっと苦しめた。顔を下に向けながらも口をパクパクさせており、その形を見ながら答えを出した。


(「な、ま、え、わ、す、れ、た」?……名前を忘れた?)


 一回行った後に何度も人差し指をどこかに向けている。たどるとそこには変わらず紅葉の姿。


「名前がわからないんだな」


 何度も首を縦に振っている。事情が分かって安心したが、それ以上に名前を忘れるなんてありえない。本当に存在が忘れられているのだ。でも、なぜ自分は覚えているのだろうか。


『しだりさんの心の中だけにいる存在になろうとしているんだ』


 高嶺が最初に言った言葉を思い出す。紅葉はしだりの中にしかいなくなる。ということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。高嶺が完全に紅葉のことを忘れるまで、紅葉が完全にいなくなる前にこれを終わらせなければいけない。プレッシャーが一層大きくなった。





「お二人とも、大丈夫ですかね?」

「大丈夫だよ」


 リビングにいる露と夏来はうずうずしながら座っていた。帰ってくる気配がない。もう最後に見てから四時間は経っている。


「無事に助け出せますかね……あれ?」

「どうしたのさ」

「お二人が助ける方の名前を忘れてしまって」

「大切な仲間の名前を忘れるなんて……何だっけ?」

「露さんもじゃないですか」


 すぐにおかしいと思い、鵲と月にも聞いてみたが思い出せないと言った。これはさすがにまずい状況だ。


「これも、影狼の毒のせいでしょうか?」

「そうかもね。僕たちの記憶がなくなる前に倒せるといいけど……」

「できますよ、お二人なら」


 不穏な空気に包まれた中、お互いに作り笑いをしてやり過ごすしか手がなかった。





 しだりは高嶺から太刀を返してもらうとすぐに蔓を相手し始めた。


(高嶺は一応木の後ろに避難させたが……蔓を一つでも見逃すと攻撃するだろう)


 さっきよりも警戒を高めて根元のほうに、紅葉に近くなるように蔓を斬る。自分の能力を使えば一発なのだが、生憎今は使える状況ではなかった。しだりの時間を遅くする能力は、知人が周りにいると使えないのだ。さっきよりも倍くらいの速度でパキパキと崩れていく紅葉を見て、恐怖という言葉しか思い浮かばない。顔だけでなく足元からもなくなってきているのだ。時間は多くない。


 その様子を細目で見ていた高嶺は、自分の横にある鎌と鉄球を眺めていた。何か思いつきそうな気がしたからだ。目を見開くと、両方を手に持ってばれないように作業を始めた。

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