第三十三句
「見てしまいましたか?私の、本当の姿」
此のは剣を持つ手に汗を握りながら戦っていた。耳がいいとはいえ、多すぎて処理が追い付かない。しかも噂では影狼と同じくらいの強さになるという。
(ただでさえ不利な状況だ。ここで間違って死なせるなんてしたら……)
一応、鞘をつけながら戦っているが加減を間違えたら一巻の終わりだ。いつもより慎重に剣を振った。身軽さを利用してふわりと宙に舞う。声が聞こえた場所で口の位置が大体わかるので、あとは声の動き方を見れば大体思った通りに行く。相手の背中、肩、首などに次々と気絶する程度の一撃を食らわせた。だが四、五人でも大して変わらない。まだ気配とその恐ろしいうめき声は止まなかった。
(支配者の影狼は辰巳さんと戦ってる。操作はできにくいから今のうちだ!)
両手で柄を強く握り、また剣を背中の後ろで構えた。
辰巳は息を切らしながら影狼をにらむ。先ほどからちょこまかと逃げられてばかりでスコープの焦点が合わない。合うとしても一瞬で、かすらせるのがやっとのこと。他の影狼とは段違いの素早さだ。
(まぁ、これが普通なんだろうな)
さっきの影狼が余裕すぎたのか、この影狼が単に強いのかよくわからない。とにかく慎重に狙うのは無理だろう。辰巳は近くの木に隠れて大きく息を吸うと低姿勢で影狼に接近した。茂みや木などの障害物を飛び越えるなどしてその肝の据わった横顔を見つけると、その上から覆いかぶさるような形でライフルの引き金を引いた。
「なっ……」
引き金が動かない。壊れてしまったのだろうかなんて思ったつかの間、襟が引っ張られて後ろに投げ出された。驚いてその屈強な力の持ち主を見ると、辰巳よりもはるかに小さく何日も食事をとっていないかくらいにやせ細った少年だった。この少年に引き金を止められ、自分を投げるなんて信じられなかった。だが、これもあの毒と影狼の操作が行っていることなのだろう。ますます怒りがこみあげてくる。
「……俺らを困らせるのが好きなんだな、本当」
この少年に賭けたのだろう。先ほどの大群は動き方がバラバラだった。毒の量も、操られ方も、彼だけが段違いだ。
完全に影狼の操り人形となった少年は、静かにこちらへ歩み寄ってくる。辰巳は立ち上がる暇すらなかったのでその場で座りながらライフルを構えた。怖気づかない少年に、不安すら感じる。銃口を指先でつまむと、めきめきと音がしてきた。何をするのかと思ったつかの間、銃口の側面に尖りが出てきた。
(銃口を曲げる気か!)
左右に振り回すがなかなか離れない。仕方なく、少々荒いやり方をした。影狼に操られている人は確かに強いが、それ以外の変化はあまりなかった。つまり、力はとても強くなるが、少年は噛まれる前と同じ身長、体重ということだ。それを銃ごと持ち上げると銃口に手がついたまま周りへ撃った。もちろん手の位置と誰もいないことを確認してからだ。予想通り、少年は空気のように軽い。影狼はその時、高みの見物をしていた。
木々に穴が開いていく中、影狼は凛とその場で座っている。まるで、自分の前にある木々が見方をしているように。辰巳はそれを見て腹が立った。がむしゃらに少年を振り落とそうとする自分を、嘲笑っているような気がした。
『あぁ、俺ってやっぱりそうかよ。いつも笑われる側だ』
いきなり引き金が軽くなる。もう、弾切れだ。替えはまだあるがその気になれない。ぐったりとその場で座り込んだ辰巳に影狼が近づいた。腕に向けて、大口を開ける――
「――ごめんな」
鋭い歯が食い込んだ。がっくりと首が下を向き、座らせられた人形のようになると何もしゃべらなくなった。風の吹く音がする。
その風に紛れ、どこからか甲高い笑い声が聞こえてきた。辰巳だ。戸惑っている影狼と対照的に何とも楽しそうな顔をして立ち上がると、サングラスを外して革ジャンを脱ぎ捨てる。
「あぁ、君かい? “裏”を出せるっていうのは」
影狼は背筋が凍った。そっとその額に触れると、影狼はその場で伏せた。自分の意志ではないのに、なぜかそうしてしまう。
「君は、散々人を弄んだな。私に逆らったらどうなると思う?」
その圧の、なんと強いことか。一歩も動けなかった。だが、最後の力を振り絞ったようだ。素早く後ろを向いて走り去っていく。だんだんと圧が弱まっていった。
「残念だったな」
前から声がした。誰もいなかったと思ったが、さっきまで後ろにいたはずの辰巳が立っていた。
「あぁ、なんでここにいるかって?暗い場所での物体察知と、千里眼を使った。後、さっきまで君と話してたのは分身だ。ずっと姿を消して追いかけてたよ」
自分でも言っていることがわからない。だが、この影狼は自分が最大の過ちを犯してしまったことに気づいていないようだ。気が動転し、襲い掛かってきた。
「逆らわなければ生かしたのに」
いつの間にか装填済みのライフルを出し、額を撃つ。
『……なんだか覚えてねぇけど、ポイズンリムーバーは……』
さっきまでいた場所へ戻り、革ジャンのポケットを探っていると急に頭が痛くなった。
「っ……意識がっ……」
めまいなのだろうか、周りの景色が曲がってきた。訳が分からずも、意識が遠のいていく中で和歌を唱えた。
『わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む』
辰巳の句能力:精神制御
しばらく意識を失ったが、ただ眠りにつくだけだった。
「はぁっ……はぁっ……」
さっきよりも動きの統一感がなくなった気がする。きっと、辰巳が操っていた影狼を倒したのだろう。だがその代わりに一人ひとりの本能で動くようになったので位置や動きがわかりにくくなった。ざっと二十人くらいは倒したが、残りはまだまだいる。影狼と同じ強さを持った人々に苦戦し、体力も削られた今はもう限界に近い。
(辰巳さんを呼ぶか?……いや、何かあったらだめだ。僕だけの力でもなんとかなる)
木陰に身を隠し、荒い息を落ち着かせると再び立ち上がった。なるべく音をたてぬよう、靴が地に当たる面積を少なくした。多少歩きにくいもののうめき声や肌と地の擦れる音がよく聞こえる。しばらく止まったと思うと、いきなり駆け出して細剣を振った。
ギャッという悲鳴がたくさん聞こえる。音の位置を確かめてまとまるのを待っていたのだ。急な行動に戸惑った人々は一斉に此のを攻撃をしてくる。だが、そんなの音を聞けば事前にわかることだ。それぞれのみぞおちや首筋を軽く打ち、その大群から退けた。
(びっくりした……いやなことをしてくれるじゃないか)
頬の汗を拭っていると、細剣が動かなくなった。
「っ……力が強い!」
目の前に感じた気配は、とても大きい。少なくとも二メートルはあるだろう。鞘と一緒に取り返そうとしたが無理そうだ。鞘を持つ手を放し、柄を両手で握るとその場で高く跳んだ。器用にくるりと回ってからその大きな背中へ音もなく着地した。
「それ、大事なものだから返してほしいんだけど」
刃先を自分へ向けて大きく振りかざすと頭の後ろへ一撃した。バランスが崩れて前のめりに倒れてしまった。幸い、その屈強な背中が良いクッションとなってくれたので怪我はない。鞘に刃を収めて再び耳を澄ましたが、音がさっきよりも聞こえなくなってきた。足取りがふらふらする。気が付くとその場で倒れていた。
(もうこの目には慣れた、なんで今更……)
目が見えないと気づいたときからしばらくはいつもこうだった。その場に立っているのが精いっぱいで、普通にするなんてできない。動かない足に無力さを感じた。
「 “僕”って……」
「――どうされましたか?」
いきなり声をかけられ、思わず上半身が上がる。姿は見えないが、声色からして高齢の男性だろう。その優しそうな雰囲気に影狼が化けたのではないかとは感じなかった。
「その……どちら様ですか?」
「私はここらに住んでいる者です。ここに来るまでに茅葺の小屋を見ませんでしたか?」
(確か、辰巳さんが言っていたなぁ)
心の中で納得すると、本題へ移った。
「ここで何をされていたのですか?」
「何か物音がして、眠れなかったので少し散歩を、と」
「はぁ……」
ありきたりな理由ではあるが、再度怪しいものではなさそうだと安堵した。
「でも、ここは危険です」
「どうしてですか?」
「ええっと、最近は妖がうろついていると噂がありまして……」
「そうなんですね」
とても下手な嘘だ。だがうまく話が流せたようで、此のは額の汗を拭う。ゆっくり立ち上がったタイミングでまた例の足音は近づいてきた。男性の前であたりを見回す此のを男性は不思議な目で見つめていた。
「妖が来ました。貴方は早く逃げてください」
「近くにいてもよろしいでしょうか?妖は、普通の人は見れないですか?」
「いいえ、普通の人にも見えますが……けがをしますよ」
男性が心配だったが、物好きな人なんだろうと思いながら承諾した。念のため、木の後ろなどに隠れてもらう。男性が身を隠したころには足音はすぐ近くで止まった。老若男女関係なくこちらへ牙を向けてくる。様々なうなり声が耳から耳へ通り抜けていく。
「こっちには客人がいるからさぁ、かっこ悪いところ見せたくないんだよね」
ヴゥッとかすれたような声で言う彼らにあきれたようだ。ゆっくり近づくと、主にすねを狙いながら体勢を崩していった。
さっきよりも力が弱くなってしまったのですぐに立ち上がって攻撃してくる。もう一発で仕留めるには休憩が足りないようだ。でもそんなことを今するわけにはいかない。こちらには人もいるのだから、怪我させてしまったら自分の責任だ。
大量の言葉が頭を巡った。
言葉の波に溺れながらも剣を振ると、いつの間にか頬が熱くなっていることに気が付いた。触ってみると生温かい血が顎まで垂れて服に落ちている。いつそんなことができたのだろうか。
左手で傷口を押さえながら立て直したが、こちらの様子など一向に気にせず風の如く攻撃をかわされた。おまけに引っ掛かれて体も精神も朽ち果てるばかりである。
『応急処置なんてやってる暇はない。こっちには人の命もかかってるんだ、目なんてどうでもいい。死んでも守る……!』
そうやって自分を奮い立たせていった。
「待ちなさい」
聞き覚えのある声が聞こえてきたのは再び立ち上がって剣を構えた時だ。優しい声――あの男性だ。びっくりして声を荒げた。
「なっ、何してるんですか!危ないですよ!」
「だめです。もしかして、盲目のお方ですか?動きが不自然でした」
短く早い言葉だったが、此のは心の内を見透かされたような気持ちになった。
「そんな状況下で戦っていてはお体に障ります」
「……いいのです。もう慣れました」
強い口調で言われて胸を押さえる。それもそのはず、全部が心のどこかで思っていることなのだから。ふと顔を上げると、だんだんと近づいてくる気配を感じた。真正面からだ。でもその方向には男性がいる。まだ何かを言っているようだが、唇を震わせながらもその言葉たちを遮った。
「危ないっ!」
そのタイミングで「グァッ」と、口を大きく広げながらしゃべろうとするときに出るかすれ声がした。
『あぁ、僕は、誰も守れないのか』
その文が脳に浮かび上がってくる前に足が動いた。でも、距離的に間に合わないだろう。
「――あれ?」
「えっ?」
近くに小石でもあったのだろうか、転んで擦りむいた腕がじわじわ熱くなってきているときに驚いているような高い声が聞こえた。思わずその方向を向く。目の前には変わらず男性の気配があったのだ。普通ならもう自我を失って今頃自分は殺されていたのに。
「何が……起きたの」
「っ……妖の袖を掴みました!早くっとどめをっ!」
「袖をつかんだ」、ありえないことだ。事情を聴くのは後にして男性の前に回り込むと背中を鞘の先端で突いた。「ヴッ」と苦しそうな声が一瞬聞こえ、地に倒れる音が響いた。
「気絶、しているんですか?」
「はい……。あの、もしかして、特殊な能力でも持っているのですか?」
そうでなければ袖をつかむなんて到底できない。しかも男性は高齢だ。
「いいえ、何もありませんが……」
「えっ⁉」
(どういうことだ?……まぁ、状況を聞くか)
何もないなんてありえない。男性は、「実はですね……」という出だしで話し始めた。
「声をかけていただいたとき、とっさに後ろを向いたら妖がいました。もうだめかと思ったのですが、私の目の前に波紋のようなものが現れて妖は跳ね返されたのです。ですが、逃げられてしまいそうだったので袖をつかみました。まぁ、私の興味本位でもあるんですけど……」
(「興味本位で」……って)
あの一瞬のうちにそんなそんなことが起きていたのか。と、驚く。その特殊な体質はともかくまだ残っている者がいる。さて、どうすれば……。
「……よろしければの話なんですけど」
「はい?」
「少しお手伝いをしてもらえないでしょうか?」
考える素振りをして口元に当てた手の向こうでは、口角が上がっていた。




