第二百七十三句
「お母さんのバカ!」
そよは影狼の背中に着地した。足場が不安定だったので体勢が崩れて尻餅をつく。衝撃がそこに全て集まったため、腰のあたりを押さえていないと動けないほどになってしまった。ひとまず鉤縄の端を探し、もう一度結びなおしたい。だが、影狼がそれを阻んできた。
考える暇さえ与えられないこの状況にいらつきを覚えたのか、無理やり振り払って何とか反対側の木まで伸ばすことができた。少し引っ張って突っかかったことを確認してから勢いをつけて木の方へ体を前に振る。服の裾や袖にしつこくつかみかかってきた何匹かをも振り払って幹にしがみつき、ゆっくり登っていった。
やはり、集団だとどうしても仲間に知らせるという行為が邪魔になる。吠えられる前に完全に倒せればよいのだが、それは難しいことだ。だんだんと幹にまで迫ってくる影狼たちを他人事のように見ながら考えると、「あっ」と言って鉤縄をしっかりと左手でつかんだ。
右手には葉を外側にして突き立てた短刀。ひとまず近くにいたものを真正面から刺すと幹に近づいてくる速度が一層早くなった。その反対側から縄を掴みながら降り、勢いをつけて幹を介して影狼のいる方へ移動した。勢いよく来たそよに対応できず、突き立てられた刃に刺されていった。
完全に縄が巻き付いたところで地上に降りると、残りの影狼たちに素早く接近する。低姿勢なので上を飛び越えれば避けることができ、後ろからの攻撃もできるだろう。だが、そよが見逃すはずがない。何も持っていない左手を地面につき、両足を上げると爪先に腹が突っかかってそのまま前に持っていかれた。
背中から着地してすぐには動けない。足が地面につくと同時に左手を突き放し、滑るかのようにして刃を胸に刺した。吠えるまでもなく息絶えていったところを見ると、容赦なく刃を引き抜いて体勢を立て直した。まだ目の前には、数匹の影狼がいる。
先ほどの攻撃を見ていたのだから、後ろにいくものはほとんどいないはずだ。だが、一匹ずつに集中していてはきりがないので一度鉤縄を取ろうと後ろに引き下がった。特に距離を詰めることはせず、様子を見られている。なるべく後ろを向かないように慎重に幹のもとまでたどり着いた。
(よし、後は引っ掛かっている部分を取って……)
そう思い、後ろを向いた瞬間だ。何か気配を感じて縄に掴まり、足を上げるとすぐそばに影狼が来ていたではないか。頭を踏みつけて反応を遅くしてから巻き付いた縄を戻すように幹の周りを一回転すると、最初の位置に戻って先端を柄だから外した。
これで使えるようになった。再び幹の周りに来ないうちに大胆に着地をすると、不規則だが狭い範囲でまとまっている集団に目を向ける。縄の長さに余裕のできるほどの距離にまで近づき、肩の関節が痛くなるほど腕を背中の後ろに持っていくと前に投げた。
綺麗に周りを囲み、先端の金属部分がブーメランのように帰ってくるとその付近の縄を掴んだ。これで拘束できる。最初は何が起きたか理解できていなかった影狼も、今になって慌てだした。それを知っていながらも精一杯の力を使って縄を引っ張り出した。
小さい狼でも体重は二十五キログラムある。それを何匹も引っ張るとなると骨が折れることだ。少しだけ自分の近くに引き寄せたところで縄の先端を手首にかけると輪が崩れないように接近した。多少緩んできていても手首の縄を引っ張ればよい。囲まれて動ける範囲が少なくなった影狼は牙をむくことしかできず、あっという間にそよに倒されていった。




