第二百七十二句
「本当に困りますね」
(なんで俺が……)
わかりやすい表情を浮かべた今は先ほどであったばかりの女性へ笹原の出口まで案内しているところだった。女性の扱いが分からないというのもあるが、それ以前に怪しいところが多すぎるのだ。いきなり出てきたと思えば見たことのないような身なりの青年に道案内をしてもらうとは。普通だったら逃げられるだろう。
さらに、夜だから見えにくい部分もあるが肉眼でも出口は良く見えるのだ。わざわざ人に聞く必要はない。視覚に障害があるわけでもなさそうだ。ますます疑いが深くなってきたので、一度足を止めて女性と向かい合った。
「その、おねーさんは……影狼って知ってますか?」
「ええっと、知らないわ」
「……そーですか」
ちゃんと断られてしまい、その後の言葉が出なくなった今はゆっくりとまた前を向いて歩き始めた。きっと勘違いだったのだろう。風が吹くと先ほどよりも一層寒さを感じたことから冷や汗が出ているということがわかった。
特に何事もなく姿見の近くまで来たが、またここでも止まったと思うと今度は武器を構えた。二口の銃口が横に並んだ、二連式散弾銃だ。女性は特に驚く様子もなく、今と目を合わせた。
「……これはなんですか?」
「アンタやっぱり影狼だろ?」
「……何かは知りませんが、そんなわけ――」
話し終わる前に引き金を引いた。すると、慣れたような身のこなしで弾の当たらないところまで避けたではないか。だが、銃口からは弾は発されておらず、発砲音も一切しなかった。
「……え?」
女性の顔がみるみるこわばっていく。今はポケットに手を突っ込み、親指ほどの大きさをした弾を二つ取り出したと思うと銃身の根元を折ってその空洞に入れて装填した。中折式といい、銃身を折って装填する方式だ。
「あーあ、おねーさん嘘ついてたのかよ」
「どういうこと……?」
本当に人ならば、銃が何かわからないはずだ。それにも関わらずこの女性は華麗に銃口を避けてきた。やはり影狼である可能性が高いのだろう。弾を込めて再度構え、引き金に手を置いた瞬間、鬼の形相へと変わった。爪を鋭く伸ばしながら接近してきた。接近戦では圧倒的不利になってしまうため、なるべく感覚を一定にするために動きを合わせる。
確かにいつもの速さがあるが、追いつけないわけではない。狙いを定めてあまり動きのない足元に向かって撃つと、体勢を崩してその場に座り込んでしまった。女性だったのが狼の姿に戻って、うめき声を上げながら塵になっていく。
その光景を見ることもなく、今はその場から立ち去った。
影狼に囲まれたそよは、短刀を構えて攻撃が来るのを待ち続けていた。だが、先に行った方が不利になってしまうというのは互いに分かっている。ただ目を合わせて待っているだけだった。
(これじゃ、きりがないな)
しびれを切らせ、一番近くにあった木の幹に鉤縄をかけるとぶら下がって登った。すかさず一匹が吠えて命令を出すと、木の周りに影狼が群がってきた。焦ることなく枝々の中に隠れてその風景を見る。この距離からだと攻撃は不可能だ。近づくための作戦を立てなければ。
そう思い、適当なところに鉤縄を伸ばすとあっという間に影狼が鉤縄の先に移動してきた。何ともバカげた光景だ。縄は伸ばしたまま、音を立てずに木の後ろで着地すると息を殺して近づいた。気配に気づいた一匹が振り向いたときには、目の前に鋭い眼光を放った青年の姿――。
仲間に何かを託すように吠えると、首元を斬られて消えていった。ようやく自分たちが騙されていると気づいたのだろう。一気にこちらへ突進してきたが、深く膝を曲げてから真上にあった鉤縄を掴んだ。と言っても、ここまでは計算していなかったので縄はすぐに外れてしまうだろう。
(もうすぐ外れ――)
「あっ――」
思ったよりも縄は速く外れ、影狼たちで覆い尽くされた地面へ落ちていった。




