第二百六十七句
「立派になりましたね」
ふみはたびの話を聞こうともせず、自分たちに何があったかを話し始めた。
『姿見の前まで行って、入ろうと思ったんですけど……』
息が荒い。言葉が途切れ途切れになっていることから、今は走るなど何かしらの激しい動きをしながら話しているのだろう。
『マントの下から見えていたものが綺麗な着物の柄だったんです。フードを脱がしてみたら――影人だったんですよ!女の人の!』
その一言に、どれだけ驚いただろう。だが、代わるチャンスならいくらでもあったはずだ。例えば一度井戸に入ったとき。簡単な話だ。事前に用意しておいた影人に黒いマントを羽織らせて代わりに行かせれば、少しのことでは気づかれないだろう。だが、並みの影人とは思えない銃さばきからして強力な操りを受けていたことは確かだ。
目が合うなり影人は逃げていったとのことで、ふみはそれを追いかけていたらしい。川霧を先に姿見の中へ入れたため、今は完全に一対一の状態だとか。黒マントを逃してやることを失った以上、協力するしかない。ふみへ能力を自分に使ってほしいと伝えると、その場で座って意識を外に出した。
浮遊して真っ先に見つけた、髪を振り乱している女性の姿。手にはしっかりと銃が握られている。よほどの力を使ったのだろうか、しっかりしたはずの拘束がほどけてしまっている。その後ろにふみを見つけたが、体力がなくなっているようで徐々に距離を離されていることがわかった。
急いで体に戻って立ち上がると、先ほど向いた方角を思い出して前後からの挟み撃ちをすることにした。早速ふみに伝える。
「僕は前から行く。無理をしないでいいから、なるべく近づいてくれる?」
『やってみます』
決心したときの声だ。無線をポケットにしまい、その方角を一直線に見つめると走り出した。確か、今いる道の端にある林を越えたもう一本の道にいたはずだ。障害物を乗り越え、道に出ると正面から風を切るように走っている女性の姿が。すぐに行こうと思ったが、止まって器用に銃を構えてきた。前髪で正面が見えないはずだが、しっかりと銃口はこちらを向いている。
ますます操られていることがわかった。頬には傷がついている。先ほどフードに槍を貫通させたときにできたものだろう。――一般人に傷をつけてしまった。『その時は知らなかった』なんていう言葉は言い訳にならない。これ以上傷を増やしたくはないという思いが、動きを慎重にさせた。
まもなく後ろから静かに近づいてくる者がいた。ふみだ。二人で目を合わせると、まずは弓矢でふみの方に注意を引いた。耳元で鳴った音にすぐさま反応し、上半身だけを振り返らせてはなった弾丸を軽々と避ける。間を開けずにたびは突進して、肩を押さえると右手に持っていたポイズンリムーバーを首元に押し当てた。
抵抗を見せた者の、ふみが前から手を押さえているので銃口の向きは変わらない。少々乱暴気味に毒を抜き終わると、へなへなとその場に座り込んで倒れた。ひとまずはこれで安心だ。だが、問題はまだある。操った者はどこにいるのだろうか。あんなに強力な操作ができるのだから、黒マントに違いないだろう。気配が一切感じられないが、探すことにした。
「そういえば、川霧君は?」
「小夜さんに頼んで特別医務室に連れて行ってもらいました」
それなら一安心だろう。深くため息をつく白菊の顔を想像しながら周りを見渡した。だがさすがに、この状況で出てくるほど警戒心が弱いとは思えない。何かのきっかけを作らねば。悩んだ結果、最終的に出した答えは――。
「帰ろっか!」
「そうですね」
――だった。二人で話をしながら姿見に向かってゆく。少し遠かったが、話をしているとあっという間に姿見へ着いた。たびが入ろうと足を一歩動かした瞬間、その目の前を弾丸が通った。すぐにその方を向く。
「……そっか、そこにいたんだね」
横を見ると、ゆっくりとこちらに歩いてきている黒マントの姿があった。




