第二百五十七句
「貴方はできるわ」
どんどん勢いを増していくたびに、追いつけるものは何もない。間合いの近くにいるだけでも槍が飛び出してきてどんどん斬られる仲間たちを見て、近づくことさえもままならなくなっていた。だが、槍は近距離でしか使えない。このままでは取り逃がしてしまい、運が悪ければ川霧とふみの所にまで行くかもしれない。それは何としてでも避けたい。
急ブレーキをかけ、あたりを見渡すといきなり全身の力を抜いて地面に倒れた。まるで石像にでもなったかのように動かない。しばらく時が止まったかのように静かになったが、やがて一匹の影狼が近づいてその様子を確かめた。白目をむいており、動く気配がない。しばらく観察して分かったが、たびの脈は動いていなかった。完全に味を占めた影狼はその周りをかたどるように群がって浮いた気分になった。
さっそく、腕の近くにいた影狼が大きく口を開けて勢いよく噛みつこうとした。牙の先が肌に触れた時だ。口は閉じなくなった。強い力で押さえられているからだ。どうしようもなく手足を動かしているが、やはり抵抗できないほどの強い力が加わっている。
そして立ち上がったと思えば、あっという間に地面に落として気絶させた。先ほどまでなかった淡い緑の瞳孔が影狼たちを見ている。
「引っ掛かってくれてありがとう」
たびの句能力:意識だけを別の場所に移動させる
今までたびが倒れていたのは、能力を使って自分の意識だけを影狼たちの動きを観察していた、と思えば辻褄が合う。意識だけなら当然影狼たちに見えるはずはない。そうやって近づかれたときに直前のタイミングで攻撃ができるようにしていたのだ。
逃げる間もつくらずに影狼の輪の外へ着地すると、槍を大きく振り回してあっという間に目の前にいた何匹かの腹や胸を斬った。端にいた一匹が、まっすぐと木々の中に逃げていった。それに続いて後ろにいたものたちも逃げていく。
「あ、待ってよ!」
そんな言葉を聞いているわけがないだろう。ひとまず一番手前にいたものに焦点を当ててまで追い続けると、追いついて突き刺した。地面に貫通しそうなところで止め、柄を持ち変えて倒れた体を踏み台にすると、高跳びのようにして何メートルかを飛び越えた。着地地点より少し前にいた、次の影狼を見つけて進むと後ろ足を払って動きを止めた。両手を突き、うつ伏せのような姿勢になりながら残っている左足で顔の当たりにさらに蹴りを入れると近くにあった木まで吹っ飛ばされて気絶した。
体勢を立て直すために大きく一回転し、微かに見える尻尾を見つけると、今まで溜まっていた息を吐いて全速力で追いかけ始めた。息が持たなくなる最後まで、速度を落とさずに走り切る。苦しくなってきたときにはもう人の体一つ分までの距離となっていた。気合を入れなおすように大きく息を吸い込むと、地面を蹴って飛び込むように刃を入れた。
転がり込むと、仰向けになって大きく手足を広げた。木の先には他人事のようにそれを見ている星々がいる。だがまだ休んではいられないだろう。上半身を起こして立ち上がろうとしたが、肩に感触があった。人の手が置かれている。だが、体温が明らかに人間ではないことを物語っていた。槍を背中側に持っていこうとしたが、その前に口を開ける音が聞こえる。ここで武器を動かしたらあちらが焦って噛まれるのが速くなってしまう。
一度武器をしまってから手を肩に当てると、もう一度武器を出した。その者の首を、柄と自分の体で挟むかのようにして。そのまま立ち上がって体を横に半回転させると、体を反らせて動きを止めた。エビぞりの姿勢から体を内側に向くようにすると背中を押さえて槍を自分の方へ持っていき、そのまま背中を一突きした。
たびに化けた影狼は、倒れる直前にこちらを睨んでいた。だが、その目線はたびではなく、その後ろに向いていたと感じた。




