第二百五十二句
「本当に良い物語ですね」
『たびさん、もう一人の黒マントも捕まえました。二人で姿見に向かいます』
「はぁーい」
どうやら二人の力だけでも、黒マントは捕まえられたようだ。二人の仲の悪さはたびが一番よく理解している。すれ違うだけで睨み合ったり些細なことで口喧嘩をしたり。もう毎日がお祭り騒ぎだ。ただでさえうるさい場所なので、本音を言うならば少しでも仲良くしてほしかった。
何もしないわけにはいかないので、ひとまず姿見に向かいながら間隔を研ぎ澄ませて敵がいないかを確認した。と言っても、今は黒マントがあちらに集中しているのであまり来ないだろう。だが、油断してはやられてしまう。手で両頬を叩くと、気合を入れた。
槍を四方八方に突き出しながら構えていたが、何事もなく姿見まで着いてしまった。逆に気味の悪いくらいだ。ただ自分の姿が映し出されている鏡の前に座り込み、自分の顔を覗き込んでいるとだんだんと背景が暗くなってきている気がした。
(よく見えないなぁ……。まさか――)
一度しまっていた槍を、刃が背中の後ろに来るように持つと何かが当たる感触がした。そのまま上半身のひねりを利かせ、勢い良く振ったが軽々と止められる。耳、尻尾、牙、そして赤い目をそのままに人型になった影狼が刃を手で押さえていたのだ。その姿はたびと瓜二つなので、人前に姿を現すのがこれで初めてなのだろう。
柄を押し出すと距離が取られ、あちらの動きを纏うと槍を出したまま動きを止める。だが、一個にくる気配はなさそうだ。
(まぁ、そうなるよね。姿見は特別なものと言ってももとはただの鏡。割れたら現代に帰れなくなっちゃう)
このまま離れたら姿見が壊されてしまう。だが、こちらから動かないといけない状況に持ってきたのだ。意を決して体勢を崩すと、無線を口に当てて全身をだらんとさせながら和歌を唱えた。
『あらざらむ この世のほかの 思ひ出に』
姿見にもたれかかる形で倒れ、顔を下に向けたたびはそれ以降動くことはなかった。影狼は恐る恐る近づくが、動こうとしてこない。すっかりいい気になると、大きく口を開いて牙をむいた。だが次の瞬間――大きな針を飲み込んだ感触が口の奥に広がった。槍の穂が口に突っ込まれているのだ。
「ようやく来てくれたね」
さっきまで倒れていたたびが喋り出し、影狼は目を見開く。そのまま力で押されると、体が貫かれて灰になっていった。大きく息をつくと、立ち上がって姿見の周辺を見回す。すると、後ろの木からがさがさと葉が揺れる音がした。風は吹いていない。後ろを向いて構えたが、四方八方からまんべんなく聞こえてきた。
まるでたびを囲んでいるかのようだ。予想通り、出てきたのは数匹の影狼だった。
(なるほど、最初から僕は罠にはまっていたんだね)
睨み返し、武器を構える姿は楽しんでいるとすらも思えた。
影人と戦っていた二人のポケットから、何やら真剣なたびの声が聞こえた。
『あらざらむ この世のほかの 思ひ出に』
しかも、彼が能力を発動させるための和歌ではないか。川霧は押し間違いだと思って放っておいたが、ふみはあと一撃で倒せそうな影人さえも放棄して木の後ろに隠れた。
『大江山 いく野の道の 遠ければ』
川霧にも聞こえないくらいの声量で和歌を唱えてからしばらく目をつぶり、眉間にしわを寄せて険しい表情をしてからまた戦闘に戻っていた。なにか考え事でもしていたのだろうか。
二人の前に現れた影人は数人しかいなかったが、なにせ影狼が多いものだから操作が集中する。部屋すれば黒マントと同じくらいの戦闘力を持ってしまうだろう。事態が悪化する前に止めたいと必死になっていた。
「おい!なんで一回戦うのやめたんだよ!」
「こちらにも訳があるんです!」
こんな時に言い争いをするのはいけないことだと分かっている。だが、影人が優先になっているこの状況では互いに強く言うことしかできなかった。その遠くにあった井戸から、川霧の背中へ、銃口が向けられる――。




