第二百三十七句
「ごめんね、行けなくて」
先ほどまで八重はずっと心臓が飛び出しそうなくらいに緊張していたが、なんとか止めることができた。ひどいめまいがあるはずなのに援護し、とどめを刺してくれた小夜には感謝しかない。
「小夜さん、本当に本当にありがとうございます!」
「いや、礼を言われる筋合いはないよ。出るタイミングが遅くてすまないと思っている」
勢いよく首を横へ振った。謝りたいのは八重の方だ。小夜が謝るのはいくら本人が止めようともできなかった。戦いがひと段落終わったところで川を渡り、八重が作った草原へ舞い降りるといきなり小夜がカッと目を見開いて勢いよく走り出した。向かっている方向は最初に来た時と逆だ。
「八重!能力で草の養分を吸えるか?」
「もちろんですとも!」
両手で優しく地面に触れると、あっという間に草は枯れて先端がしなり、八重の膝くらいまでの高さにまでなった。その前であたりを見渡していたと思うと、ある木のそばへ駆け寄ってから大きく息をついた。その目の前には黒マントがいる。
「良かった……」
影狼との戦いに夢中になって思い出せていなかったが、二人は先に井戸へ逃げた黒マントをおびき寄せるために置いて行かれたもう一方の黒マントを近くへ寝かせていたのだ。戦いの最中に回収されるとすべてが台無しになるので、どちらかが思い出せていなかったら計画が失敗に終わるところだった。
まだ気絶しているようで、起きそうにない。このまま姿見へ連れて行こうとも考えたが、それでは場所が簡単にばれてしまう。姿見へ運ぶまでも結構な距離があるため、時間稼ぎが必要だった。二人で作戦を考えてそれぞれの位置に着くと、しばらく待っていた。小夜が木のある所から離れ、枯れた雑草たちの中央付近に黒マントと共に鎮座していた。
能力を発動させるとその場であぐらをかき、背筋を正して目を瞑るとだんだんと意識が遠のいていった。時々首がかくんとなっては目覚めるを繰り返したが、しばらくしていると静かに眠り始めた。影でそれを確認した八重は自分の頬を叩いて気を引き締めると、自分の定位置へ着く。ここからが勝負時だ。
しばらくはその風景は変わらなかった。だが、小夜にとってはもうすぐ来る頃だろう。突然、地面に少し強い揺れを感じた。八重が構えていると予想通り頑丈そうな石の壁が小夜と黒マントを囲うように出てきた。反射神経の良さを発揮して目覚めると、あの暗闇に飲み込まれる前に黒マントの体を持ち上げて空高く上げた。
「行くぞッ!」
威勢の良い声と同時にやってくる黒マントの体。全体重が重力のままに落ちてくるため、時間はあまりない着地しそうなちょうど真下の位置へ入ると急いで地面に手を当てて自分の体力を最大限使った。先ほど草原からすった養分が還元され、八重の半径二メートルほどにある草は復活するどころかさらに成長した。
良いクッションとなってくれた草が体を受け止めたのを見て、小夜は石の壁を蹴って楽しそうにこちらへ跳んでくる。合流した二人で黒マントの体を持ち上げると、姿見の所まで一直線に走った。すかさずそれを追いかけてきた足音との間隔を大体把握すると、小夜だけがそこで止まって再び黒マントを空中に投げた。
事前に前へ行っていた八重がクッションにした草から吸った養分をまた還元する。繰り返しすること柄、場所を混乱させながら姿見に近づくことができる。
「よし、キャッチできた!」
「そっちに向かうからな――」
八重の方を向いた瞬間、頬に何かがかすった。血が出ている。前を向くともう井戸から出てきた黒マントが目の前にいたではないか。銃は新しいものを持ってきたのだろう。このまま後ろを向いたら撃たれる可能性が高い。短刀を取り出して頬の血を拭うと、徐々に加速しながら近づいていった。




