第二百三十一句
「あぁ、綺麗な桜」
小夜は決死の思いで、短刀を離した手で黒マントの銃身を掴んだ。元から体勢が悪かったのでうまく対応できなかったのも相まって、力技で何とか正面に当たることを防げた。少しタイミングが遅かったせいか、深いかすり傷から血が垂れてきたが拭くとしばらくは出てこないくらいの軽傷だ。
そのまま黒マントの体全体を右側へ引っ張って抑え込み、爪先に乗せた短刀の一つを器用に取って首元に当てた。それでも抵抗し、銃を構えようとしていたのでそのまま銃身の後ろ側へ向けて首に当てていた刃先をスライドさせ、強打させた。
どこかのパーツがかけていたようにも見えたが、大して重要そうなところではなさそうだ。空になった手の内を見てがっくりと肩を落としたのを確認すると、押さえる力はそのままに懐から小型無線を取り出して八重につなげた。暗くて周りの景色は見えないが、花好きの八重なら間違いなくここら辺にいるだろう。
「小夜だ。黒マントを捕まえたんだが、都合が良ければ援軍に来れないか?」
しばらく返事を待ってみたものの、まったく帰ってこないので忙しいことを悟り、決して返事が来るまでかけ直すようなことはしなかった。再び黒マントに目を向けると、驚くことに足で落とした銃を拾おうとしていた。先ほどまでの素早い動きが嘘のように幼稚な考えへ、思わず小夜は笑ってしまいそうになった。
『小夜だ。黒マントを捕まえたんだが、都合が良ければ援軍に来れないか?』
バッグの中で、小夜の声が聞こえてくる。母音から内容をなんとなく把握できていたが、八重は返そうと思わなかった。と言うよりかは、返せない状況なのだ。目の前には片足を押さえてしゃがみ込んでいる黒マント。そして八重自身は、幹が激突してきたことによって足首を痛めている。
どちらが先に立ち上がるかによって動きは変わってくる。八重は、こんなチャンスは滅多にないと信じて先に行こうとしていた。だが、痛みが足首へ鉛のようにしがみついてくる。一歩足を進めるごとに大量の汗をかいては寒風で体が冷えていった。左手を顔の前に出し、それを思いっきり噛みながらようやく動き出す。手始めに接近しながら連射すると、黒マントもそれに気づいて銃口をこちらへ向けてきた。
だが、しゃがんでいる以上は八重の方が有利だ。後ろに回れば銃口も安易に出すことができない。すぐに後ろへ回りこんで反応を遅れさせた。体をゆっくりと回転させようとしているが、その前に近くにあった木へ身を隠して息を殺した。
葉の音には気づいていたのだろう。すぐにこちらに目を向けて枝の根元ばかりを撃ってくる。先ほどのように木を少しずつ攻撃して姿をあらわにするつもりだ。風がないことを確認してから木の延長線上にある別の木々へ向かって真っすぐに銃を構え、放った。
弾は葉を何回も通り過ぎ、果てしなく飛んでいった。風は多いが、静かな森だ。この音が目立たないはずがないだろう。黒マントの目線は明らかにそちらへ行っていた。注意が引かれている間に枝の分岐点へ手を当てて能力を発動させると、一瞬にして葉はしなり、幹はおどろおどろしい見た目になった。
(よし、これで……!)
高く跳びあがり、頭上より少し後ろの位置に移動すると両足をそろえてかかとを相手の後頭部に強打した。バッグに入っていた花びらが何枚か落ちる。木からもらった体力を活用して加減はしなかったため、そのまま前に倒れこんだ。着地は少しだけ失敗したが、地面に頭を打ちつけられたあちらと比べたらたいしたことではない。小さな手で腕を掴んで拘束すると、上げられた顔と目を合わせるように覗き込んだ。
「お願いなんだけど、その銃を渡してくれない?君が逃げ出したら――」
八重は持っていた銃を黒マントの額に当てた。その目は、彼岸花を折られたときと同じ目だ。
「わかるよね?そうじゃないと僕、博士に怒られちゃうから」
黒マントは銃を離し、その目を見つめることしかできなかった。




