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第二百二十九句

「本当に最低ね」

 向かってきた影は、小夜を見つけるとそこに宝が埋まっているかのごとく一直線に走っていった。銃口を思い切り顔の前で構え、飛び乗る形で最後の一歩を踏み出し、目の前へ着地した。――だが、引き金は動かなかった。いつの間にか手首を掴まれていたからだ。しかも横を向くと短刀の刃先が首に向かいながら肩の上で鎮座していた。


『かたぶくまでの 月を見しかな』


 決して寝起きとか思えない行動だ。両者の動きがそれで固定されたとき、小夜は大きなあくびをしながらフードを脱いで目の前の人物――黒マントへ笑った。


「おはよう、君は最悪な目覚まし時計だったよ」


 寝起きだからか、声のトーンが低い。その言葉を挑発と捉えた黒マントは再度引き金を引こうとするが、立ち上がった小夜が素早く両手を後ろへ回して背中へ肘を当て続ける。抵抗しようとすれば膝が腹へ飛び込んでくるという、まさに動けない状態だった。


(……眠いな)





 数分前――


『やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて』


 そう唱え、涼風の中で眠りについた小夜がまた意識を取り戻したころには地面へ振動が伝わってきているのが分かった。近く、また近くと近づいてくるそれにますます眠りが浅くなってくる。


(これは……八重のような小さな者ではない。大人の足音だ。こんなに静かになってるということは少なくとも味方ではないな)


 反対の耳を滑る強風が邪魔をしてきながらも、負けじと足音を聞き続けた。しばらくして急に早くなった。緊張しているときの心音と同じくらいで雑草を踏む音が聞こえてくる。限界まで待ってから起き上がると、銃口を構えている黒マントが信じられない速さで飛び掛かってきているではないか。動揺することなく手を前に出すと、あっという間に手首をつかんで動きを止めた。





(今回は起きる時間もドンピシャだったから良かったが、あと数秒でも多く寝ていたら駄目だったな)


小夜の句能力:寝ると時の流れが倍になる


 能力を使ったことによって小夜以外の時の流れが倍になり、敵の方から攻撃を仕掛けてくるようにしたのだ。黒マントにとってはただ見つけて行っただけだが、小夜にとってこれは立派な罠だ。これまでに培った反射神経を存分に生かし、たとえ倍の速度で立ち向かわれても通常と変わらぬ素早さを出せる小夜が編み出した作戦なのだ。


 だが、押さえたからと言って黒マントが完全に攻撃できなくなったわけではない。すぐさま背中から発砲音がして一度顔をそむける。前を向くと手の中にあった銃からは微かに煙が立ち上っていた。手首を握っていた時に感じられた、血管の太さが分かるほどに込めていた強い力。


 もう少し掴む力を強くしようとしたが、大きく息を吐いたときに体の力が抜けたのを相手は見逃さなかった。体を横へ一回転させ、脱出された直後に流れるように銃口を顔へ向けた。素早くしゃがむと、勢いについていけなかった小夜の長髪に弾が通り過ぎていく。毛先がまだ背中についていないくらい間隔を空けずに低姿勢で突進していった。


 短刀はしっかりと背中の後ろから出していつでも斬れるようにしておく。低姿勢、と言っても目線は相手と同じくらいだ。正面からの動きだと読まれやすいため、先ほどの影狼のように横から攻撃をしようと大きく手を広げた。視線を離さないことによって体の動きをごまかす。刀身が小指に近くなるように持ち変えた短刀は、まっすぐ黒マントの首元へ向かっていく。だが、自分の視界に刃先が見える前に動きは止まった。


 黒マントが左手で小夜の手を覆うように柄を受け止めている。その力はおそらく手を拘束された状態でも銃を撃てた時と同じ力だ。この時点でもう手が赤くなってきている。まだ右手が残っているため脇腹に向かって動かしたがその前に額へ銃口がついた。その時に動きを止めていたから良かったが、少しでも動いていたらどうなっていただろうか。


 何もすることのできない、絶望の表情をする。手の震えで落ちてしまった短刀の音を聞きつけた黒マントは、引き金を思い切り引いた。

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