第二百十八句
「君の和歌はいいね」
「貴方もですよ」
ひとまずいたみは能力で自らの体を硬化させたが、問題は梶だ。方法が絞られてくる。正面から攻撃するにしても様子を見るに体力は消費されてきている。逃げるとしても今は能力を使っているため絶対にここへ戻ってくることになる。解除したらそれこそ黒マントたちに井戸へ逃げられてしまう。まさに絶体絶命だ。
表情が一気に曇ったところを見ると、いたみは目線はそのままに目の前の黒マントへ走り、上段蹴りをした。体が硬くなっているのでなおさら痛いだろう。顔を押さえているうちに梶のもとへ行き、二対一での戦いを考えた。だが、考えが甘かったようだ。黒マントは素早く梶の手首を握って引っ張り、首を軽く腕で絞める体勢になった。手の震えから相当な力で抵抗しようとしているのが分かるが、その力でも黒マントは引きはがせそうになかった。
だがいたみは気にせずに一直線へ走っていく。どうせ打たれてもこの身が壊れることはないと知っていたからだ。だが、今回は少し事情が違ったようだ。銃口を向けられたのは梶のこめかみ、一度は立ち止まったが、状況が悪化する前にともう一歩前へ行く。
「待って……」
か細い声がそう言う。驚きながら顔を上げると、梶が苦しそうな声で呟いていたのだ。よく見れば、黒マントはだんだん梶の首へかける力を強くしていっている。このまま近づけば窒息の可能性もある。
「来るな……絶対に」
わずかに残る隙間から吐かれる息は、とても少なかった。フェイスベールの揺らぎがいつもより少なく感じられる。風がないのでとても分かりやすかった。ここでいたみが動くのは危険だ。しばらく無限に続く森の中央では沈黙が走った。
(ここで動けるのは俺だけ。でも、どうやったら……)
梶は目を見開いて足を震わせながら止まっている痛みと目を合わせて必死に考えた。首へかけられる力が大きくなるごとに早く抜け出したいと思ったが、どうにも力が強くて抜け出せない。だが、仮に抜け出せたとしても撃たれる可能性の方が高い。今の黒マントはいつもに増して警戒心が強いのだ。少しでも動いたらこめかみにある銃口から弾丸が飛び出してくるだろう。
こうなると、何か黒マントの気が引けるものが必要だ。黒マントの腕をつかんでいた手をだらんと垂らし、気絶でもしたかのように見せかけた。下に来た手をぐっと握ると、そこにできた少しの空洞へ槍の柄が出てきた。そこからゆっくりと、武器が形成されていく。
何とか視界に入れずに完成させたところで、いたみの方を再度向く。顎に手を当てるまでして、何か策を考えているようだ。音を立てぬようにその場で足を動かすと、はっとした表情で目を合わせてくれた。左へ向く矢印を手で示す。本当は読唇術を使いたいところだが、フェイスベールで口元が見えないので手でしか行動は示せなかった。
しばらく左側と梶の顔を行ったり来たりしていたが、ようやく意図が分かったようで左側へ向いて走る姿勢を取った。いたみと梶は木が五本分の隙間がある。黒マントに意味が分かられる前に行かなければならない。
「――行け」
梶が何をしたいのかは、いまいちわからなかった。だが、左を向いて走る体勢を取ったときの表情が明らかに明るかったため理解できた。少し遠回りではあるが、木々の後ろを経由して近づいてほしいということだ。
(タイミングが重要だ。何か合図は――)
「――行け」
風に乗ってきた声がそれだった。思わず体が前に行き、いつの間にか木々の後ろを駆けていた。勝手に背中を押された感覚がしたのだ。四本の木を通り過ぎ、残りの一本のもとへ跳んで幹へ片腕を巻きつけるように掴むと、両足が一番前に出るようにして黒マントに近づいた。
銃口は反射的にいたみの方へ突き出される、だが、そんなものはもう無意味だ。両足をそろえて顔へ蹴りを入れる。ついでに体の下に見えた右腕の手首をつかみ、腕を伸ばして銃身を掴むようにスライドさせるとあっという間に銃を取ってしまった。
倒れそうになる黒マントの腕から梶が脱出したのを見る。目元から少し複雑な表情をしていたのが分かったが、一番多く感じ取れたのは『楽しさ』だったと思う。
能力を解除してから着地し、目を合わせると二人は笑ってしまった。喧嘩していたことも忘れて――。




