第二百十句
「残念だね」
いたみは毒を抜いた女性を橋の手前まで運び、柵にもたれかけるように寝かせる。素早い動きからしてどこかに操っている影狼がいるだろう。可能性としては端の方だ。あえて女性を橋の真ん中に置いたのは操っている者を見えなくするという意図があったからだろうか、と考えて再度周りをよく確認する。
特に変わったところも、気配もなかったので次に渡ったところを調べようと橋をゆっくりと渡った。最初は真ん中を渡っていたが、自然と体は川のある方へ吸い寄せられていく。進行方向と反発するように流れる川に飲み込まれそうになるのから耐えて前へ進んでいく。水は夜でも丸石たちが見えるほど澄み切っている。いたみは時間を忘れそうになっていた。
はっとして前を向く。こうしている間にも影狼たちは何かしてしまっているかもしれないと思ったからだ。駆け足で橋を渡り切ろうと膝から下へ体重をかけ、飛び出そうとした時だ。何か首の下に当たったような気がして目線を下に向けると、きらりと月明かりを映した刀身が喉へ触れていた。幸い、何も怪我はないが、下がろうとした瞬間にくるぶしへ冷たい感触が走った。足元にはまた刀身が光っていた。まるで瞬間移動していたかのようだったが、前後からの気配は大きい。
完全に二人の影人へ挟まれてしまった。しかも両者の手には刀がある。顔と足元に注意しながらその中間くらいに来るよう体を縮こめて後ろへ手を着き、なんとか挟み撃ちを逃げ出す。だが、いくらあちらが武器を持っているとはいえこちらが武器を使うには状況が悪かった。
(僕の武器が使えるのはせいぜい刀を取り上げるときだけ……。でもやってみるしかない)
左手だけを地面につけ、四つん這いのようになると背中に回していた右手でハンマーの柄を掴んで駆け出した。同時に前へ振り下ろされた刃を見ると、目の前で急停止してから跳びあがって柄を両手でつかんだ。刀身とクロスさせ、そのまま力で押し切る。体を大きく、影人の頭上を通るように回転してから後ろへ着地するとその勢いで倒れた。
力が弱まったその瞬間に迷いもなく刃を握り、橋の向こうへある森までに及ぶほどの距離で投げ捨てた。手のひらを横断するようにできた大きな切り傷も今なら痛くない。すぐさま奥へいるもう一人の方へ駆けてゆくとあちらも姿勢を低くした。右から左へと見えぬほど速く動いた刃をもう一度頭上を通って避ける。体には一切当たらなかったが、肩回りを囲って膝下まで伸びるスカーフの先が斬られ、綺麗な断面になったことには恐怖せずにいられない。
着地して体勢を整えようとするが、その前に上半身が半回転したと思うと先ほどの延長のように刃が上を通る。腰を抜かしながらもなんとか避け、次の攻撃が来る前にと一気に間合いへ入っていった。それでも、影人の方が一枚上手だったようだ。脇腹辺りに締め付けられているような痛みを感じた。衝動的に後ろへ下がると左の脇腹に血が広がっているではないか。必死に押さえながら前を見るといつの間にか刀は腹の前で突き立てられて構えられていた。
おそらく近づいてくるときに腕を瞬時に曲げて前へ持ってきたのだろう。これも影狼たちに操られているという立派な裏付けになる。幸い、あちらのタイミングが少し遅かったため浅く刺さったが、それでも重傷だ。スカーフの先をちぎって腹へ巻くとしばらくにらみ合ってから飛び出した。
今度は殴打部分に手の側面がつくほど柄を短く持ち、横から後ろへ回りこんだ。先ほどよりも段違いのスピードだったため操っている者も追いつけなかったのだろう。正面から振り下ろすという単純な動き方をしてくれたおかげで予想よりも後ろへ回るのがスムーズになった。
ハンマーを左手に持ち替え、横に突き出すと影人の視線に取り残されていた柄が足止めの役割をする。動揺している隙に余った右腕を曲げて脇腹へ肘打ちを入れると喉から苦しそうな声を出して体勢を崩した。続いてうまく足をかけて倒れこませる。
手刀をつくり、うつ伏せの状態で見える首筋へ入れると静かに気絶していった。念のため刀を取り上げ、慣れた手つきで毒を抜く。先ほどまでは必死であまり見ていなかったが、二人とも高価な衣を纏っている。橋の向こう側には都があるとみた。
「――っ痛……!」
手のひらと脇腹の痛みを思い出し、簡易包帯を取り換える。橋で歩いた分を取り返すために、先ほどよりも早歩きで橋を渡り切ろうとした。




