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第百九十六句

「近づかないでちょうだい」

 滝の視界は影人たちで覆いつくされる。少し目線を下に向けると、勇猛な目でその場に座りながらこちらを見つめているではないか。


(ちっ、自分たちが正義だと思い込んでやがる)


 唇を噛むと影人たちの方に視線を戻した。かと思えば重い下駄を脱ぎ捨ててそれを追いかけるように塀から滑り落ちた。十センチメートルはある底の下駄を塀沿いへ綺麗にそろえてから壁を蹴って反対側へ移る。弓矢を横向きに構えて目の前の影狼を睨んだ


「あー、体が軽くなったわ。やっぱり一キロ強の下駄なんざ履くんじゃない」


 自分のコンプレックスを自らさらしている状況だというのに、滝はなんだかうれしそうな様子でそう話した。弓を離れた矢は風を斬りながら影狼の胸に突き刺さり、あっという間に倒れてしまう。それを見た周りの影狼はすぐさま塀の上の影人たちを向かわせた。


 一度弓を置いて引かれた拳を手のひらで受け止める。人の体が空中でとどまることができないのは常識だ。押さえられた手を軸に体が下に行く前に頬を押さえて顔も並行して地面に着地させた。多少の手加減のおかげで大事には至っていない。


 動きを止めずに両手を上げて背中を後ろへ反らせると片足ずつ上げて後ろへ一回転した。ちょうど正面へ来た影人たちの顎が蹴り上げられる。しゃがんだところから立ち上がったが、上からした葉音を聞いてすぐに後ろへ身を引く。木に隠れてひそかに覗き込むと大量の影人たちが森の出入り口をふさいでいた。その前には影狼たちが周りを見渡している。


 見つけられてはいないが、ここで下手に動くと数で押される。弓矢を持ち、左を向くと少しだけ後ろに下がった。適当に高い場所へ矢を放つ。一斉にそちらへ目がいった。さらに二、三本を使って場所を錯乱させてゆくと三本目で中央にいたものが短く鳴いて一喝した。すぐに影人が矢のいった木へ掴まっては葉をむしり、血眼になって滝を探した。その間に木 bを伝ってどんどん影狼との距離を詰めていく。


 影狼は影人がいれば自分から動くことは少ない。まさに主従関係だ。先ほど指示を出した中央の影狼に当てるとひたすらに枝を掴んで木を登った。音はごまかせるかもしれないという確証のない判断でやっては見たものの、そんなに簡単には行かなかったようだ。矢に当たった影狼から次に目を移したのはちょうど滝が登った木だった。目線がだんだんと上へ向かってくる。


 それでも決して頂上には行かず、幹にもたれかかりながらやはり適当に矢を放った。もちろん影人に当たるようなところではない。なんとか見つかるのを避けてからその場で矢を弓にかける。この高さから見ても、影狼は大きな的だ。流れ星の如く落ちていく矢は風の間で静かに、だが勇ましく影狼たちを貫いていった。


 だんだんと従うものをなくした影人たちは何事もなかったように木から落ちる。それでも、彼らは影狼と同じくらいの戦闘力を持ち合わせているのだ。木から落ちただけで気絶する弱さではない。この量だともはや、本当の戦いはこれからだ。


(さて、早くしないとな。操るものがいなくなった影人は本当に自由に暴れ回る)


 ポイズンリムーバーを片手に、真正面から影人の山ができている木の前へ立ちはだかる。その姿を見るや否や、何人かが爪や牙を立てて襲って来た。それをすり抜けて後方の動いていない影人に掴まり、その背中や肩を転々と移動しながら気絶させていった。


(戦闘系の能力だったらもっと便利だったんだろうけど、そんな都合よくはないからなぁ)


 身軽になってだいぶ動きの速さが違う。影人たちに匹敵するほどにはなっているが、体力は先ほどの影狼たちのせいもあってかあまりない。少しでも楽をして影人たちを倒したいという一心でがむしゃらに、いつしか呼吸を忘れていた。


 調子が出てきたのもつかの間、影人の道が途切れて足を滑らせた。大きく、周りに響くように息を吸った――吸ってしまった。

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