第百九十三句
「お前は本当に困ったやつだな」
必死に走ったのが仇となった。とはいえまっすぐ進んだので反対方向にまっすぐ戻ればいいのだろうが、何せあのうるさい検非違使の声が聞こえなくなるくらいにまで走ったので相当遠くにいるのだろう。
「……とりあえず、来た道を戻るぞ」
「わかりました」
まだ明るい昼間だということが不幸中の幸いだ。とにかく、体を百八十度回転させて曲がることなく足を進めていった。その道のりは行きよりもはるかに長く感じる。途中まで来たとき、あくるの足元に無機物が当たった。拾ったものは銃だった。
「これは……」
「あぁ、黒マントの銃だろうな」
先ほど銃を蹴り飛ばしたことを思い出す。このまま放置しておけば黒マントや他の人に見つかる可能性がある。あくるは懐に銃をしまった。
ようやく、見たことのある風景の場所へと戻って来られた。安堵の息をつくが次に二人が感じたのは恐怖だ。さっきまであれほどにぎやかだった町はとても静かになっている。それどころか人の姿も、気配すらも見つからない。ただ一人、塀にもたれかかっている者がいた。例の検非違使だ。
何の疑いもなく近づき、体を揺さぶる。まだ息はあるようだった。だが何度も声をかけても応答がない。何度も諦めずに声をかけ続けるとようやく立ち上がった。
「おい、大丈夫か?」
声をかけた滝にいきなり掴みかかってきたかと思うと大きく口を開けながら赤い目を向けてきた。焦る滝の横から鋭い蹴りが来る――。あっけなく吹っ飛ばされた検非違使に一瞬同情したが、追撃される前にポイズンリムーバーを出して近づいた。両手を押さえて抵抗させなくしたところであくるに毒抜きを頼んだ。
毒を回収すると顔色がよくなったように見えた。怪我の確認をしてから塀際に寝かせた。本当ならもう少し安全なところに連れていきたいが、あまり時間がないのだ。黒マントの気配がないことがわかると最初にいたところに向かって走り出した。
通路の中間まで来た辺りで滝が急に足を止める。その顔は、何かを思い出したような深刻な表情をしていた。
「っ、思い出した……!能力で黒マントの会話を聞いたときに、『挟み撃ちにした方が影人が増える』とか言ってました!」
「何っ⁉」
あの時の状況から考えて、黒マントは祭りに訪れた人々を影人に変えてしまったのだろう。
「そういうことはもっと早く言え」
「ド忘れしてました……。ま、お詫びに大体の位置特定しますよ」
耳に感覚を集中させ、どんどん遠くに能力の範囲を広げてゆく。大勢のうめき声をキャッチしたのは能力を発動させてから数十秒後のことだ。
(いた、角を曲がって少し進んだところくらいかな。……いや、待てよ)
少しずつ力を抜いても声が聞こえるようになってきた。どんどん近づいてきているということだ。影人は止まらずにこちらへ向かって来る。構えているはずの弓矢は能力に集中しているからか感触がしない。
「――後ろだッ!」
あくるの声で一気に目覚めた。反射的に体が後ろに向く。手を伸ばし、鋭い爪を見せつける姿勢の子供の影人が襲って来た。顔が軽くひっかかれて傷ができたところで両手首をつかみ、一気に体を下へ振り下ろす。乱暴に着地させてもなお暴れ続ける子供を傷つけることなどできなかった。
「あくるさんッ!毒を抜いてください!」
あちらも焦っていたようだ。手を滑らせそうになりながらもポイズンリムーバーを持ち、首の傷を見つけると急いで当てて毒を抜いた。
(危ない、あそこで弓を引いていたら……)
恐怖の余韻が残りながらも影人たちの位置を確認できた。角に隠れてその向こうを見つめていたあくるに近づくと、手を出されたので足を止めた。いつになく真剣な表情をしている。
「影人たちがこちらに向かってきているが、どうする?」
「……それなら、僕は影人たちをやります。困ったらいつでも呼んでください」
「まぁ、私に助けはいらないと思うが……頼もしいな」
それぞれが武器を構える。おそらく黒マントは影人たちの後ろ側にいるだろう。あくるは塀の上を大群を下目に颯爽と走り抜ける。それを見た滝も、尋常ではない速さで向かって来る影人たちに突進していった。




