第百八十六句
「あれほど言ったのに……」
「っ――さしも⁉」
空から何かが落ちてくると思えば、見覚えのある明るい髪色。間違いなくさしもだ。到着したばかりで状況がいまいちつかめなくなっていたが、なほは呼吸を整えて歯を食いしばり、出力を抑え気味に能力を使った。さしもを隔離する壁は良いクッションへと変わる。
ゆっくり着地させると近くにあった建物のそばへ寝かせ、しばらく様子を見た。すぐにその目は開かれるが呼吸は浅く、決して大丈夫とは思えない。
「誰にやられた」
「あっちにいる黒マントと影狼だ。……気にするな、すぐに起き上がれる」
だが、なほはそんな言葉も聞かずに黒マントたちのいる方を険しい目で見ていた。何も言わずに立ち上がったかと思えば信じられないほどの速さで走り去っていったではないか。到底追いつけるとは思えず、さしもは心配しながら駆け足で行く先を追いかけた。
なほがついたころには黒マントたちは井戸を出現させていた。ゆっくりとあたりを見回し、自らも入ろうとしているのに無性に腹が立って一喝する。
「逃げんじゃねぇッ!」
涙が浮かび上がっているとも見えるその輝いた目とは裏腹に、低い金切り声となにより遠距離からでもわかる恨みの感情に押しつぶされそうだった。能力は最大値に達する。黒マントと影狼たちは容赦なく壁に潰され、塀や建物の壁に張り付いた。なほの感情は今、怒りで満たされているのだ。息を荒くしながら肩を震わせ、無理して抑えているのかゆっくりと歩み寄る足はカタカタと揺れている。
近づいていくたびに息苦しくなっていく影狼たちは敵ながらもどこか哀れに思えた。ようやくさしもが追いついたときには引き金を手に置いて黒マントを狙っていた。位置的には頭だ。
「やめろ、私は大丈夫だから」
「うるさい、うるさいうるさいッ!これは俺の問題なんだよ!」
どう言っても聞きそうにはない。そしてついに、引き金が指で押された。その瞬間にライフルが傾き、的は大幅にずれた。それと同時になほはライフルから手を離して必死に押さえた。手の甲には手形のような火傷がある。そしてすぐにさしもの方を見た。
その左手からは黒煙が出ており、袖には燃えた跡が見える。おそらく能力を使ったのだろう。真剣な目には一瞬吸い込まれそうになった。だがすぐに立ち上がって迫る。
「痛っ……!なにすんだよ!」
「落ち着け、今の君は影狼みたいだ」
いきなり見放されたような感情になり、気力が落ちたことで能力が緩んだ。黒マントたちはどさっと地面に転がり落ちる。
「私のために怒ってくれたんだよな、ありがとう。でもそのやり方は違っている」
「……ごめんなさい」
はっとした表情になると顔をうつむけて両手を握る。だいぶ反省している様子に安堵の息をついた。黒マントはゆっくり立ち上がり、もう一方の手で影狼たちを操作しながら攻撃を仕掛けてきた。さしもの方を伺うと自ら前線へ立った。今の体力で直接黒マントと戦うのは無理だ。
「困ったらサポートするよ」
「別にいい。無理する人が一番きらーい」
足から出した炎で加速し、その横でなほが低姿勢で並走する。黒マントの手前にいた影狼へ衝突しそうになった瞬間にさしもの肩に乗って一気に飛び出した。その奥にいる黒マントに着地できるよう、ライフルを構えながら降下する。
なほの火傷はまだ痛むが、嫌な痛みではない。一種の喝だ。手の甲をしっかりと押さえて自分を戒め、まずは右足を出して蹴りを入れた。だが小さく避けられて塀に傷がつく。それでもすかさず左足で壁を蹴って体の向きを変えると連射した。
さしもは全身に炎を纏って影狼たちを追いかけた。熱された刃先で体を傷つけられるなんてたまったものではない。なほの積極的な行動もあってか黒マントの操作が弱くなっていると感じる。とにかく動きを大きくし、影狼の動きを止めることを優先に攻撃を続ける。
いつしか両者の立場は逆転しているようだった。