第百八十三句
「私の想いはどう止めたらいい?」
(ありえない、俺の能力を突破してくるなんて。……出力を高めないと)
だが、この影狼たちに直接的で大きな感情などない。強いて言うならば『呆れ』がある。だが、それはなほの能力を強くするための糧にはならなそうだ。近づいてこられるのも時間の問題。自らの身を引いて少しでも距離を取ろうとした。銃口を近づかせ、フードに弾をかすらせたタイミングで膝に力を溜めて後ろにあった塀に飛び乗った。そこから手前にある屋根の端へ移ってひたすら逃げてゆく。
人差し指を鋭くなほへ向けると先ほどとは段違いな、目にも止まらぬ速さでその後ろを追ってきた。やはり操られているような動き方だ。その後ろから黒マントもついてきている。ここから移動するとさらに厄介なことになりそうだ。
屋根の端まで来るとゆっくりとスピードを落としてゆき、足裏の三分の一がついていないくらいの位置でぴたりと止まった。両手を大きく広げて満面の笑みを浮かべると影狼が体に触れる直前で重心を後ろにかけて屋根から足を離した。隣の屋根へ両手を当てて一回転しながら着地すると何とか移れる。
この急な行動には黒マントも気づけなかったのか、止まれなかった影狼は建物の隙間へ落ちていった。黒マントが来る前にライフルを構え、連射してとどめを刺す。これで一対一となった。顔を上げるといつの間にか目の前にいるではないか。跪いていたので目線を下にすれば足が見えるはずだ。そう思って下を向いても見えるのは、無限に終わりのない深淵のような黒だ。次の瞬間にはのどに唾がたまり、せき込んでいた。
思い切り腹を蹴られたと気づいたのはその後だ。上半身を起こそうにも腹を踏まれて押さえつけられているのでどうにもできない。さらには額へ銃も押し付けられている。本当にいつ撃たれてもおかしくない状況だ。両手を上げて『降参』の合図を送ると、静かに引き金へ手をかける音が聞こえた。
先ほどよりの怒りはない。やはり、能力には感情がつきものだと改めて思う。さしもはなるべく相手に手の内を明かさないように能力を押さえていた。相手はたったの数匹だ。何の心配もない。接近してくる影狼たちを睨みながら武器を構えた。だがどうだろう。手前でいきなり止まってしまったではないか。
一気に魂が抜けたような動きを見せられて混乱していると、突如影狼はドロドロに溶け始めた。何者かに変形する前兆だ。変身するはやはり黒マント。完全に成形が終わった途端に速さが段違いになって再び追ってきた。地に足を着けていないかのような、少し浮かんできているとでも思えるくらいの動きの滑らかさがある。気づけばあっという間に囲まれていた。
東西南北というベタな角度で囲われたものの、まったく逃げる隙がない。仕方なく上から行こうと膝を曲げていた時、周りが妙なほどに暗くなった。頭上に何かいる――。最初に目に入ったのは銃口だった。何も考えることのできないまま輪の端に寄ると、さっきまで自分のいたところに弾が降ってきた。地面にめり込んで見えなくなっているのを見て相当の威力だと知る。
(なるほど、影狼の動きが不自然だったのはそういうことか)
落ちてきていたはずの黒マントは空中で後ろに翻り、輪から少し離れたところへと着地した。薙刀を短く持って正面のものを斬ると勢い良く斬る。柄を止められるが余裕はある。後ろに沿った体勢を取り、柄の先端を地面に浅く突き刺して体を上へ持ち上げるとそのまま後ろへ倒れ、輪を抜け出す。
着地した際の反動で滑りそうになったのをかかとで止めると砂ぼこりの中から一気に走り抜けた。鏡のように同じ速度で追いかけてくる影狼たちを飛び越えると、右腕を思い切り後ろへ引いて薙刀を投げた。あからさまな動きだったので避けられたがこれで黒マントと直接対決できる。
「私は回りくどいのが苦手だ。仲間を使うくらいなら、自分から来たまえ」