第百七十二句
「拮抗」
葎のもとへ勢いよく近づいてきたそれは、間違いなく影狼だった。能力を使おうにも瞳孔の位置が見えるほど近い。あちらも同じくらい気づいているということだ。
距離が遠いうちに手を懐へ隠しながら銃を撃った。だが、さすがに距離が遠かったようで逆効果になった。廊下から三メートくらいの所へ来た瞬間に鳴れた様子で黒マントへ変身すると、一気に襲い掛かってきた。四方八方から覆うようにカーブを利かせながら近づいてきた。当然、一斉に引いてきた拳が当たる直前に透過を効かせて空振りにさせた後に後ろの部屋へさっと引くと襖の奥から腕で大きな円を描きながら引き金を引いた。
だがあちらもすぐには消えないようだ。当初よりも体力や攻撃に対しての耐性がついてきているのに厄介さを感じながら部屋の奥まで入っていった。弾がどこかしらに当たっていながらも動きは衰えず、速さを変えずに衝突してきた。先に出てきた足を掴み、腕をぐっと前に押すと体勢を崩して倒れこんだ。何発か撃ちこむと畳へ弾の跡を残しながら灰となってゆく。
横に避けながら再び前へ行く頃にはものすごい強風と共に一人が目の前で拳を引いていた。すかさずしゃがんで避けるが、後ろを取られてしまう。マントの下にある得意げな顔を思い浮かべながら息を大きく吸ってそのまま止めた。何も怖く感じなくなるというのが透過状態になった合図だ。本当なら心臓に貫通していた拳を見ると、しゃがんで透明化へ戻して腕を両手でつかんだ。背中側から館の外まで、天井を破壊させない程度の高さで頭上を通って投げ飛ばす。
着地しても数センチは余韻で滑ったかと思うと、上げた顔からは『悔しい』という感情が見えた。焦点が部屋の入り口に集まる。そっと音を立てないように周りを包囲しているものたちを飛び越えると後ろに回って茂みへ着地した。さながら忍者のような動きで先ほど投げ飛ばしたものへ近づくと、その口を塞いで間もなく背中の真ん中を撃った。
「ごめんね」
葎の独り言にも、『う゛っ』というかわいげのない声を出しながら崩れてゆく影狼に気づいたものはいない。透明化を解いて遠くからその背中に撃つと、見事に前へ倒れこんだ。だが、とどめを刺そうと近づいたのが運の尽きだった。影狼のタフさをすっかりと忘れていたため、少しずらした位置で撃とうとした瞬間に足首を掴まれた。
たとえ透明になったとはいえ、触れられていたら意味はない。一度は透過で抜け出したものの、体力が限界なため連続で使うのはあまり良くない。茂みへ移ると透明化のまま近づいた。だが、場所が悪かった。足音も足跡もわかりやすくなってしまうため、すぐに飛びつかれる。すぐに後ろに避けたもののいつの間にか爪だけを元に戻していたようで、いくつかひっかき傷ができた。
もう場所は割られている。諦めて透明化を解くと大きく跳んで回りながら後ろへ着地した。振り向かれる前に端から順に弾を撃っていき、一歩踏み出された瞬間に一番手前にいるものを勢いよく回し蹴りした。周りからそれを防ごうとしたものを銃身や腕で止めると振り払い、また銃を構える。
(ん?引き金が軽い……)
すぐに気が付いた。弾切れだ。マガジンを取り出そうとそちらに気を取られている間に後ろへ回った一人は足先を鋭い爪へと戻し、空中で葎の背中へ大きく蹴りを入れた。深くまで傷つけられた背中が前から地面へ倒れてゆく。静かになった葎を見ると、その場から立ち去った。
「ねぇ、知ってた?ヤエムグラの花言葉って、『抵抗』なんだって。棘をたくさん持ってるから、触れると傷ができるかもしれないんだって」
ありえない話だ。まるで何事もなかったのように手を広げて大げさに話す葎へ、誰もがぽかんとする。だがいきなり、真剣な表情でマガジンを入れた。
「つまり僕は、そんな簡単にあきらめる奴じゃないってことだよ」
素早く装填された銃の引き金を握り、加速していく先は先頭にいた者。左手で頭を支え、飛び箱のように飛び越えると同時に銃口を頭に当てて容赦なく引く。たちまち倒れた姿を見ると、影狼たちはおびえた様子で足早に館の方へ走った。だが、それに匹敵する速さで追い上げてくる。ついには葎の方が先に館へ着くほどだ。
遠距離からでも外さずに撃った弾は見事に額や顔へ当たった。タフな彼らでもさすがに額は致命傷だ。とどめを刺すこともなく終わった戦いに、正直葎は安堵していた。
「――葎さん!」
聞きなじみのある声だ。そちらを向くと声の主はやはり、もがなだった。それも相当焦っている。
「どうしたの――」
その後ろには、大量の人影があった。