第百六十九句
「本当に、よく頑張ったね」
大きく、目立つようにため息をつきながらもがなはネクタイを締めた。囲んでくる影狼たちはどれも血気盛んで目が外れるかと思うくらいに睨みを利かせている。先ほどの戦いで銅線を雑に折られたことへの怒りが収まらなそうだったので、ワイヤーガンはしまうことにした。
そうなると、残っている武器は短刀だけだ。幸いにもそれなりの距離を詰めて並んでくれているのでわざわざこちらから近づく手間が減る。律儀に立っているところへ邪魔をするように吹いた風と共に、影狼たちが一斉に襲って来た。
『君がため 惜しからざりし 命さへ』
再度能力を発動させ、何の意味もなく近づいてきた影狼の輪から抜けると何匹かを蹴り落として台としながらその周りへ刃を刺していった。返り血が顔や服にかかる。だが、気にせずにほぼ無意識の中でやっていた。ほとんどが慣れだ。
攻撃を仕掛けてきてから傷がつくまでの時間を延長したが、どれほど延長されたかはわからない。だがその間に倒せばよい話だ。考えは慎重に、攻撃は大胆に仕掛けて時間以内では一切攻撃の通らない敵を倒しにかかった。輪を崩し、一直線に並ばれると距離を離して飛び越えて後ろへ行く。後ろに来た瞬間でワイヤーガンをセットし、目の前にいたものを捕らえると引き付けて背中を一突きした。目の前で見せられ、動こうとしないものがどこにいるだろうか。こちらへ向かってくるのを見ると、冷静に先ほど登っていた木へ避難した。
一部始終は見られていたので場所は特定されているが、それでも策がある。引きちぎられたと言ってもまだ五メートルは長さのある銅線を適当な場所に発射し、最大まで伸ばしてから他の木を転々と移動すると森に銅線が張り巡らされた形になった。その奥でわざと姿が見えるように待機する。
決して気を張っていない敵、今ならと思った影狼の足は止まらない、止まることのできない――。見事に銅線に引っ掛かった影狼たちのもとへ銅線を伝いながら近づいてゆく。細い線ながら強く、ぴんと張っている線は反動しやすい。銅線と自らで挟み撃ちにすることで動きを封じた。
(銅線の中に入ってくれたらこちらのものだな)
うまく誘導したことにより、予想通りに影狼は銅線の檻へ入ってゆく。気に飛び乗ってから銅線をもう一度蹴り、今度は上へ高く跳んでから檻の中心へ舞い降りた。と言っても力強く、一番最初に地に着いたのは鋭くとがった短刀の刃先だ。
一気に分散した影狼の数を確認してからまずは真正面に向かう。その頭上にある銅線に足裏をそろえて蹴りを入れながら、流れるように右手の短刀を構えた。目線は下に、動きは横へ、と走り去りながらもがなは斬ってゆく。揺るがず、通常と走ったときと変わらない速度で影狼たちを翻弄して倒す。
その姿におびえ、銅線を登って出ようとしたものもいた。だが、一気に飛び出したと思うと相手の苦労も考えずにその上にいた。支えとなっていた左手を離し、いきなり体重を前に持ってきたかと思うと足をかけて宙づりになった。勢いを保ったまま刺し、地も見えないほどの真っ暗闇に落ちていった。
(……自分であの井戸を作ってしまったみたいだ)
脳裏にこびりつく暗闇を睨むと、急いで飛び降りていった。
予想外のことに、影狼の姿はどこを見てもない。だが見当はついている。下から出られなくなっていたのはあくまでもがなの目があったからの話。上空にいたらチャンスなんていくらでもある。
(完全に油断してた。早く探さないとな)
出ていったことには何も感じなかったが、それよりも厄介なのがどこに逃げられたかだ。銅線をしまってあたりを見渡すが、気配は一切感じられない。仕方なく、というよりかは諦めた様子になると、今度こそ葎の向かった場所へと走った。