第百六十七句
「苦しい……」
もがなの銅線はキリキリと音を立てている。体勢的に相手の狙撃を大きくかわすことは不可能なため、足に体重をかけて着地を速くした。衝撃で少し体が傾いたところで両手を地面につけて逆立ちをし、一気に両足を相手の体めがけて降ろした。
つま先がついた瞬間に肘を曲げ、腕の力で自分の身長二つ分の高さを跳ぶ。右手を、左手後ろへ引き、左手の平を開いて目の前に突き出すと殴り掛かった。軽々と拳を止められたかと思うとそのままぐっと握られ、もがなの巨体を虫を払うかのように振り落とした。立ち上がろうとしたときに、何かを持ちながら両手に力を込めていることがわかる。見るとその手には銅線が握られていた。ちょうどその真ん中あたりには錆びたところがある。
「やめろっ!」
その言葉を発したときにはもう遅い。引きちぎられた銅線の先端を捨て、額へぴったりと銃口を当てられた。一歩でも動けば撃たれるだろう。揺らぐ瞳をあちらは何も思っておらず、ためらうことなく引き金を引かれる。だが、目をかっぴらいて透き通った声が聞こえたと思うと、聞こえたのは和歌だった。
『君がため 惜しからざりし 命さへ』
引き金を引く手が急にピタッと止まる。その間に銃口を掴み、下に向けた後で相手の両肩を掴んでそのあたりへ激しく両足の裏を激突させた。緩く締められているネクタイを揺らがせながら仰向けにすると急いで銅線をワイヤーガンへしまった。
意味もなくいきなり天空に放たれた弾は空に消えていく。黒マントは布越しでもわかるほど動揺していた。
もがなの句能力:自らのものを引き換えに時間を増やす
能力を使い終わってからいきなり大量の汗が吹き出し、息切れが激しくなる。今回は自分の体力が代償だ。だが、その代わりに引き金が引かれ始めてから弾が飛び出すまでの間を増やすことができた。ひとまず接近戦は避けた方がよいということを理解する。
『長くもがなと 思ひけるかな』
能力を解除してから周りを見渡し、見つけたのは茂みのはずれにある木々の集合体だった。一目散に駆けて近づくが、体力を消耗されたことですぐに追いつかれそうになる。それでも葉の生い茂る中に身を潜めてひっそりと黒マントを待った。姿が見えたと思いきや新しいマガジンがセットされて所かまわず乱射された。障害物のあるためワイヤーガンはうまく起動してくれない。だがそれを利用して一直線に並ぶ木々一直線に銃を向けた。
ものすごい勢いで飛んで行く銅線は茂みを突き抜けて激しく音を立ててゆく。目線があちらに向かっているのを確認するとすぐに木から飛び出した。少しだが、反応の遅れはうかがえる。背中を後ろに反らせた体勢でまずは蹴りを入れ、短刀で畳みかけた。倒れているときに遠くから来た銅線がマントに触れ、一瞬で体に巻き付きながら両手を締め上げる。
さすがに銃を使うこともできず、多少の抵抗があったものの何とか押さえることができた。葎に無線で伝えようとしたが、側で大きく指を鳴らした音が聞こえた。そちらを向くと急な強風が地面から吹き、一瞬だけ井戸が出てきた。そこに吸い込まれたと思うとするすると銅線がほどけ、あっという間に姿を消した。井戸の暗闇に手を伸ばしたがその禍々しい雰囲気に押しつぶされて体を乗り出すまではできなかった。
急いで銅線を回収し、葎を追いかけようと思ったがまだその場に鎮座している井戸が気になった。恐らく井戸を出したのは黒マントを本拠地か何かに送るためだ。それなら、なぜここへ残っているのだろうか。
(まだ、何かあるのか……?)
再び近づき、覗き込んだその瞬間だった。大きな手が目の前に飛び出してくる。思わず顔を引いたが間に合わずに頬をひっかかれた。離れるとそれは毛皮に包まれた腕であり、鋭い爪には自分の血がついている。一匹の影狼が顔を出すとその後に続いて二匹、三匹と出てくる。いつの間にかもがなの周りには二、三列の輪で囲まれていた。