第百六十句
「私を愛してくれないのですか?」
『御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え』
和歌を唱えた直後、衛士はその場で膝から崩れ落ちた。息がだいぶ荒くなってきている。だが、末は一切気にしていない様子でそれを見ている。大きく震わせて肩がいきなり止まり、勢いよく屋根から飛び降りていった。銃は屋根の上に置いていったままだ。着地点にいた影狼を上半身が半回転するかの勢いで殴った。
数センチ吹っ飛ばされた影狼を皮切りに衛士の周りへ黒マントが埋め尽くしている。それらをも力で振り切って拳と蹴りで同時に周りへ畳みかけた。
衛士の句能力:夜になると一時的に理性を消滅
(そう、これですよこれ。衛士さんの本気……毎回のお楽しみです)
知らず知らずのうちに口角が上がっているその表情は、まるで好きなものを目の前にした時のようだ。あの状態だと止めるのはかなり難しい。もちろん、仲間にもだ。屋根の上に座り、足を上げ下げしながらその様子を見ていた。
手当たり次第で影狼を追い、いよいよ一番後ろにいた者の腕をつかむとそのまま股下を潜り抜け、下半身のバランスを崩す。仰向けになったところで腹に重い拳を入れると軽く嗚咽しながら気絶する。
後ろと左右から同時に来られると少しだけ頭を下げて互いを衝突寸前まで近づけさせたところで左右の片方の体を両足でしっかりと蹴った。またその体が後ろともう一方にもあたり、共倒れする。右手を血まみれにしながらも数回殴るとたちまち灰になって消えた。
止まらずに前を向いたとき、上から迫ってくる者がいた。両手で銃身を握って振り下ろしてくる。気づかなかったせいで額からは血が流れ出たが、銃口を広い掌でつかんで迫った。押して抵抗されても足を絡めて相手の体を反り返らせることで綺麗に撃つためのフォームをとれなくなる。それからどんどん握る力を強くしていくがあちらも相当力を込めているようで少しばかり引き金が動いてきた。
目の前で大きく肩が上がったのを感じるといきなり顔を上に向けた。引き金が最後まで引かれたのだ。左手を貫通した弾は事前の読みにより顔には流れてこない。上を向いたついでに絡めていた足を股下の位置にとどめたまま後ろへ一回転し、盛大に体を倒した。動きの速さが明らかに違う――本物の黒マントを目の前にしても怖気づくことはなかった。
(さて、私もそろそろ行きますか)
湿布越しに殴られた頬をさすってから強風に逆らって降り立った。全ては衛士が黒マントに集中攻撃をできるよう、周りの影狼たちを倒すことだ。決して視界に入らないような位置に着地し、二人の戦いに水を差さないように移動音をなくした。
いたって単純な動き、低い姿勢で足元に刃を振るということを繰り返した。だが、それでもあちらの戦いの注目が高い。誰も末の生き生きとしている動きに気づくことはない。
数が少なくなってきたところで影狼がこちらを見た。あまりに突然な事だったので両手で顔を防ぐと拳が下から入ってくる。あまりの強さに上へ持ち上がりながらも着地する。すぐに刀を体の後ろへ持ってきて上から覆いかぶさった。だが一瞬にして目の前から消え去る。気づいたときには後ろ側におり、まっすぐと蹴られた。せき込みながら倒れてうつ伏せで地面を滑る。
(なんだ……?動きが速い……)
近くにいた衛士の様子を見ると、取っ組み合いになっており黒マントの方はこちらを見れるほど余裕があった。じっと見ている先はおそらく今戦っている影狼だ。冷や汗を浮かべているとすかさず影狼は間合いに入ってきた。地面が割れると思えるほど重い一発をギリギリのところで避け、距離を取ると顎に溜まった汗を拭った。
(まさか、ありえない。影人と同じように、影狼も操られている⁉いや、そんなのただの考えすぎですよ。きっと……)
その嫌な予感はまるで自分が考え付いたかのようだった。黒マントと変わらぬ激しい動きに錯乱させられ、一歩も動けない。末の両手は恐怖で震え出していた。