第百五十四句
「私だって傷つくのですよ」
(あ、やっぱりそうなってしまいましたか)
末は大木の上で高みの見物をしていた。暗いが、先ほどまで衛士が悪戦苦闘していたのを見ていた。再び茂みに隠れて見えなくなったところで少しばかり苦い顔になった。
やはりおびき寄せるということは手間がかかり時間のないこの状況では圧倒的に動きが制限されるやり方だ。少しでも衛士の負担を減らそうと行ったことだが逆効果だった。いじりを全力で返してくれるという印象の強さ故に、彼の本当の実力を見失っていた。だいぶ侮っていたことを実感した。
(これは全て私の責任ですね。早く謝っておかないと……)
小型無線を取り出し、連絡を試みると思ったよりもすぐにつながった。落ち着いた様子を確認すると会話を始めた。
「すみません、作戦変更です。その場で倒してしまってください」
『わかった。っていうか、それでいいの?』
怒っている様子ではなさそうなのでひとまず安心だ。事情を説明して謝ると、焦っているかのような口調で言葉が返ってきた。
「本当にすみません。何回も一緒に戦ってきているというのに……」
『うえっ⁉謝らないでよ!指示待ちしかできない俺が悪いんだから』
改めて衛士の優しさには救われる。引き続き頑張るように伝えてから無線を切った。一息ついたその途端、いきなり背筋が震えた。震えが指先から出ていったところで鍔に手をかけて待ち構えていると、それは後ろの木から現れた。影人だ。髪を大きく振り乱してその顔は見えないが、勢いよくこちらへ向かってくるのを見て鞘ごとベルトから取り外して持った。木から降りて攻撃範囲を広く取る。
それと入れ替わるようにして先ほどいた場所に人影が見えた。
(化けた影狼……いや、マントの揺れ方に違和感がない。本物ですね)
普通の人間と相違ない動きをしてくる影狼を見て、唇を噛んだ。どれだけ刀を振ってもきれいに交わされる。恐らく影人は他にいない。近くに何かの集落があることがわかったが、下手に動くとそれよりも早い動きでカバーされる可能性が高い。
(黒マントたちは量より質を気にするようですね。あちらが動くまでは引かないと……)
幸い、積極的に間合いに入ろうとしてくるので動きはわかるがこちらが間合いに入ろうとするとどんな手を使ってでも避けてくる。刀を首筋に当てようとした瞬間、足が上がってきて左腕を打った。反動で体が沿ったが、左手を支えに一回転して何とか着地する。間をつくらずに前へ回転し、一度地に足裏を付けた直後に膝を深く曲げて影人の頭上へ行くまで高く跳んだ。
下を向いて焦点を合わせた先は黒マントのいる場所だ。夏なので葉が生い茂っていてかき分けないと姿は見えない。完全なる死角へ移動できたと思うと刃先を下に向けて体を小さくしながら降りていった。葉の中へ降り立ち、始めに蹴りを入れて動きを制御する。ポケットのカメラを思い出して取り出すと腕を伸ばし、博士にその姿を見せつけた。
首元に刃を当てられたもののすぐに振り払われ、さらに奥へ逃げられてしまった。枝を掴んで何とか転落を防いで呼吸を整えたところでぐったりと倒れている影人へ近づいた。起き上がられる前にポイズンリムーバーで毒を抜くと、ひとまず木の下に寝かせた。
(なるほど、一度操作が外れるとしばらくは動けないんですね)
黒マントをカメラに収められた。が、距離が近すぎる。本来の目的である背丈の把握には繋がらなかったため、奥に逃げた者をもう一度追いかけたい。
『――末ちゃん』
突如、小型無線から衛士の声がした。その声はいつもよりも重く、どこかかすれている。心配しながらも事情を聴くことにした。
「どうされたんですか」
『……今、目の前に黒マントがいる』
「見つかっているのですね」
『うん。だからッ――』
そこで声が途切れた。何回応答しても反応がない。末は冷や汗を浮かべながら、果てしなく続く茂みを見つめた。