第百五十三句
「私は二人いるのだと思う」
茂みはどこまでも広く続いていたが、草一本の高さはそんなにない。衛士は、今回ばかりは自分の背の高さに後悔しながらも姿勢を低くして進んだ。徐々に暗くなっていく空には月が浮かび上がり、何とも物悲しい風景へと変化した。だが、今はそれを気にしている場合ではない。
耳と足裏に神経を集中させ、ひたすら周りに起こる風で草をかき分けていく。いつしか、風の音など聞こえなくなっていた。だが、そうなって間もなく左腕へ痛みが走った。気づいたところで地面に足をめり込ませながら止まると、五本の大きな掻き傷がついて血が腕をつたって指先から滴り落ちていた。どれが染み込んで赤くなっていくスーツを鬱陶しく思い、両腕の袖を限界までまくってからベルトの袋に入っていたものを取り出した。
出てきたのは、体の大きさに見合わないコンパクトハンドガンだった。手のひらよりも少しだけ大きいくらいで、それを両手でしっかりと握りながら影狼へ突進した。幸いにもあちらは動揺しているようなので移動中の音が聞き取りやすい。なるべく体を縮こませながら追うとようやく尻尾が見えた。腕を名いっぱい伸ばすだけで圧倒的なリーチだ。尻尾の先端を掴み、自分の体へ引き寄せると背中を押さえながら左手一本の支えで大きく一回転した。目の前に来た衛士に驚いたままで動こうとしないのを見て容赦なく額を撃つ。
少しずれながらも見事に命中すると、今まで体内で溜まっていた汗が一気に放出された。ひとまず顔についたものを払ってからその場にしゃがんでため息をつく。
(末ちゃんってホントに人使い荒いなぁ。ま、従うことしかできない俺が悪いんだけど)
末は主と同様で聡明な戦略家だ。弱音を吐いているところは一切見たことのなく、いつも冷静。衛士はそれを分かったうえで指示を聞いている。
片方の袖をちぎって包帯代わりに巻き付けているとまたもや茂みの揺れる音がした。風がないことを確認してから音が聞こえた方へ向いた。だが、その時にはもうすでに頭上に影狼が下りてくるころだった。思わず立ち上がりながらも避け、銃弾をまっすぐ撃った。惜しくも当たらなかったが、本来の目的は末の所までおびき寄せること。大木がそびえたっていた場所を探すと全速力で走った。それでも後ろを向いた瞬間に反対方向へ逃げられてしまう。
早くも意図をくみ取られてしまっただろうか。末には悪いが、その場で倒してしまおうと思った。それにしても足場が悪い。影狼たちの大きさからして茂みに隠れるのは容易な事。足元を狙われる可能性が大いにある。先に地面へ撃つと逃げていく音が数回に分けて聞こえた。
先ほどは動揺していたせいではっきりとした数はわからないが、十匹もいない。音の行く先をたどって止まった先を狙う。すると逆にこちらへ向かってくるため、衝突する形で胸や額へ素早く弾を入れる。左手を地面へつけて体を支えたまま移動すると、先ほどよりも早く追えている気がした。
猛獣のような気持ちで歯を食いしばりながら影狼を捕まえ、抵抗しようとするものを両手で押さえると自らの体と共に仰向けにしてから地面に押し付け、腹の真ん中へ銃口を突き刺した。後ろから向かって来たのに気づくと左手の力を抜かないまま周りへ散弾させる。一度の装填で六発しか入らないため、あまり多くは撃てなかったが時間稼ぎはできた。
それでもあきらめずに向かってくるので先に押さえていたものを撃つと大口を開けて飛び込んでくるものにその体を噛みつかせた。ぼろぼろと口の中で灰になるのが不快だったのか、少量の唾液と共に灰色の粉が出てくる。その使えなくなった盾を乱暴に捨ててから近づき、何発かを取り出して装填をすると上を向かれる前に撃った。
(最後に見た景色が地面だなんて、可哀想だな)
末になんて言われるかを心配しながら、銃をベルトへしまった。