第十五句
「許さない!」
さっきまで倒れていたはずの紅葉が、何もなかったように立ち上がった。そして、その隣にいる月はいきなり倒れた。月は自分の句能力を使い、紅葉の意識と自分の意識を交換したのだ。別に能力を使わなくても月が行けばよいとは思うが、わざわざそうするには訳があった。
「痛ッ……」
月は、一つも傷のついていない自分の体に紅葉の意識を移すことで、肩の噛み傷を彼の代わりに背負ったのだ。さっき助けてくれたことのお返しとして。眠っている紅葉を起こさぬよう、さっきまで自分が着ていたパーカーの袖を破って包帯とした。
「ごめん、ここで待っててね」
槍を持つと影狼が走った方へ全速力で向かった。
(怖い、一人が怖い、はやく、だれか……)
誰もいない竹林の中、とにかく一直線に走った。あまり息が持たなそうだ。黒い塊が見えてくると、月は急ブレーキをかけて槍を構えた。
「よくも僕の友達を……」
人間の言葉などわからないだろう。そんなことはお構いなしに、影狼は月に近づいてきた。すかさず槍を突き出すが、完全にこちらの動きは読んでいるようだ。ひらりとかわされる。
(さっきの大群の中にも報告役がいたか……)
見落としていたことを悔しく思い、槍を持つ手が一層強くなった。間を開けず攻撃を続けると、あることに気が付いた。
(この影狼、左に避けるのか)
この影狼は自分が槍を突き出す方とは逆の左側に避けているのだ。これを利用して、月はある作戦を思いついた。まず、普通に攻撃すると影狼は当たり前のように左側に避けていく。そのまま腰をひねると、体より後ろにある柄が影狼の体を打ちつけた。腰のひねりを大きくすることで威力が増し、より効果的になる。槍と竹に体を打った影狼は身動きも取れずその場に倒れた。まだかすかに動いているので月はとどめを刺せるように近くまで駆け寄った。ふと、影狼は大きく息を吸い込んだかと思うとどこかに目配りをしているではないか。何も思わずに後ろを向くと、顔全体に大きな影が見えた。
(仲間に目配せしていたのかっ!)
すぐに穂を向ける準備はできない。とっさに柄を大きな牙に噛ませた。ひとまず安心だが、力が強いので長い時間は持ちそうにない。どんどん後ろに追い詰められ、ついに竹が背中に当たった。
(……ごめんなさい、紅葉君)
やむを得ずやったのは頭突きだ。紅葉の体を借りているのでできるだけ傷をつけないようにしたが、この状況ではそれしかなかった。両者の額から血が流れる。その衝撃で影狼が口を離した瞬間、額の傷に水のようなものが入って痛んだ。きっと、影狼の唾だろう。影狼は気絶したが、月は急に胸元を押さえ始めた。
(なんだ?苦しいような……)
少しの違和感はすぐに確信に変わった。月はその場で倒れてもがき始めた。自分の心臓が破れるような感覚がしたのだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
高嶺は影狼がいないか偵察して歩いていると、どこからか叫び声が聞こえた。いつもの影狼よりもうちょっとだけ高い。
(もしかして、また一般人が影狼に変えられているんじゃ……)
声がしたのはちょうど向かっている方向。高嶺はその足を速めた。
開けたところが見えてきたと思うと、そこには月がいた。姿は紅葉なのだがなぜか月としか思えないのだ。影狼の首を片手で持ち、強く絞めている。
「月君……」
「あ゛?」
首をこちらに向けて話しかけてきた月はやはりいつもと違った。誰も近づけさせないという雰囲気に高嶺は圧倒された。そして、もう一つの変化に気づいた。
「角……?」
月の額から鬼のような角が生えているのだ。大きな牙が生え、服もボロボロだ。
(まるで伝説と同じじゃないか……)
「……おい小僧、彼奴等はどこだ?」
「……何のことでしょう?」
「私を幽閉させたあいつらだ!復讐……復讐してやる!」
手に汗を握りながら高嶺は答えた。
「あぁ、あの人たちですか。それなら、この私が始末いたしました」
もちろん大嘘であるが、月は涙を流しながらにこりと笑うと、その場に倒れた。そこには、いつも通りの紅葉が寝息を立てているだけだった。