第百四十八句
「私を殺したいか?」
相手の銃はあはれが押さえてくれている。周りの音が急に静かになったと思うと、風が通る感覚さえ遠い昔のように感じられた。外気は生ぬるいはずなのに刀を掴もうとする右手だけはなぜか冷たく、汗ばんでいた。これでもかとがっちりつかまれた刀は、左手でさらに下を持たれて完全に隠れている状態になる。
あまり高くは跳べなかったものの、膝を曲げることで目線は何とか頭が下に来るようにできた。だんだんと顔が後ろに向いてくるので、ゆっくりすることはできなかった。頭の上から大きく腕を振り下げ、柄を額に直撃させたのだ。同時にあはれが手を離したことで力が急に抜け、体勢が崩れる。両手足を大の字に広げながら倒れ、荒く呼吸をしているのを見て安堵した。
あはれは懐から、これまた高そうなスカーフを取り出すと両手を縛って動けなくする。反抗してこないので、おそらく諦めてくれたのだろう。二人でフードを掴んで姿見まで引きずろうとしたとき、どこからともなく銃声がした。振り返ると、井戸がちょこんと置かれていた。中からは何も出てこない。と思うと、急に黒マントが綺麗に宙返りして井戸の目の前まで移動する。固く結ばれていたはずのスカーフが真っ二つに破けて地面に舞い落ちたのを見て、ようやく何が起こったか悟る。
風は全くないのに、左側の木が順に揺れていった。それは後ろで止まると飛び出して井戸の縁に着地した。もう一人の黒マントだ。一方が手のひらを出すと捕まっていた方はそれにタッチし、井戸の中に入っていった。もう一方は井戸から降りると女性とも思える華奢な手の親指と人差し指をこすり合わせた。ゴム製かと思われる黒い手袋をしているのにもかかわらず、音が響く。
井戸から出てきたのは大量の影狼だった。こちらにはあまり体力が残っていないので、距離を詰めないようにしたい。あはれは装填を済ませると黒マントの注意をこちらに引くようにした。対して浅茅は接近してくる影狼たちの中へ入ってがむしゃらに刀を振り続けた。
一斉に来るのではなく、まばらに飛び込んでくるので大きなもぐら叩きをしている気持ちだ。だが、常に背中が向いている方から大きな気配があるため後ろに刃が向くように持った。右に半回転するごとに頭を貫いていく力がなくなっていった。腕まくりをする暇など与えてはくれずに攻撃が繰り返される。いくら倒しても数が変わっていないとしか思えない影狼にとうとうめまいがし始めた。汗が視界を埋め尽くす。
あはれはその場から一歩も動くことなく、木にもたれ掛かりながら黒マントを目で追って撃った。相手の怪我の報告があってからまだ一週間も経っていない。誓たちから聞くにかなりの重傷だ。やはり、今戦っているのも別人だろう。
弾切れしても装填が一瞬で終わるため、一瞬の隙で攻撃しても無意味に近い。時々木の後ろに隠れながら移動してみるがすぐに見つかっては通った道に相手の弾丸が埋め込まれる。二丁を有効に使うためにひとつは頭、もうひとつは足元を重点的に狙った。もう一度装填が始まったとき、真っ正面から突っ込んだ。そして、銃を使えるとは思えないくらい近くまで迫った。当然離れて行く相手にぴったりとくっつき、間合いと目線を離さないようにした。
相手の背中が井戸についた瞬間、銃を下げてマントを強くつかんだ。抵抗されながらも体を持ち上げ井戸に落とした。手を払いながら縁に座ると、井戸は吸い込まれるようにして消えた。安心したように笑うと、元いた位置に戻っていった。
浅茅が一度下がるとちょうどあはれが後ろにおり、顔をまじまじと覗き込んできた。
「もしかして、もう疲れちゃってる?」
浅茅と比べたら汗をかいていないも同然と言えるあはれの顔と態度に少しばかり腹が立つ。近づいてきたと思うと、右手で口を覆って耳元で囁いてきた。
「じゃあ、僕の全部を君に貸してあげる」