第百四十七句
「幸せになりたかったな」
(……めっちゃ暇)
地べたに座り込んでも何も起こらない。それほど平和だった。浅茅は約十分間、敵を倒してからというものあまりに何も起きていなかった。
あの戦いの後、背中に少しだけパイプ爆弾の破片が刺さった。体の硬さと戦いながら抜いてできる限りの応急処置をこなしたが、その先からは本当に暇だった。あはれからの連絡もなく、何も問題がないと受け取った。嬉しさもあり、どこか寂しさを感じる。そう思った時だった。
ポケットから出していた無線機が砂利をかき回すような荒い音をたて始め、いつしか大きくなっていった。
『浅茅くん?浅茅くん⁉』
明らかに焦っているあはれの声が聞こえると、冷静に応答した。
「何かありましたか?」
『今、黒いマントの奴に追われてるの!助けて!』
どんどん声が鮮明になっていくので恐らくここに向かっているのだろう。
(……完全に不審者の言い方だな。いや、不審者か。黒いマントとか町中にいたら即逮捕案件だわ)
人には誰もが悪いところがあるというが、浅茅にも悪いところがあった。自らが認めるほど、心の声がうるさいのだ。なにか思ったことがあってもあまり言わないが、その代わりに心の中でのツッコミがとにかくうるさい。
「……間隔はどれくらいですか?」
『えっ?えっと、十メートルくらいっ!』
(結構あったわ。それなら余裕で着けますよ)
『あ、待って五.五メートルくらい縮められた!』
「数字細かくない?」
(わかりました……あっ)
どうやら言いたいことと逆になってしまったようで口を押さえたが、あまり聞かれていなかったのでほっとする。自分がこの場所に来た時に出た位置を思い出して木に隠れようとすると、進行方向の正面にある茂みが動いた。出てきたのは、汗を滝のように流しているあはれだ。目があまりにも怖かったので心臓が跳び跳ねそうになる。
「あ、浅茅くん……」
「……休んでください」
この場面で冷静に反応されたあはれは少し傷つきながらも、汗を拭って武器を構えた。浅茅は無言で木の上へ隠れ、黒マントをひたすら待つ。
その時が来たかと思えば、最初に直刀がマントの裾を貫いた。少しでも動きを止められるようにしてから地面に着地し、さらに追い討ちをかけた。刀を取るついでに首元をつかんで右足と一緒に地面へ押し込んで行く。大きな力がかかりながらも手で間を開けられ、仰向けの姿勢になられると共に転倒してしまった。
少しの間だったが、装填を済ませたあはれは準備万端の状態で裾や袖を狙った。あくまで目的は捕まえて事情を聴くこと。殺してしまっては意味がない。浅茅はすぐに立ち上がったので挟み撃ちの体制にはなったものの、あちらはもう気づいているようで時々後ろにも銃口を向けていた。
目線がそれていても、近づいたら容赦なく引き金が引かれる。後ろにいたとしても、うかつには近づけないので浅茅に押さえてもらうことは不可能。正面の注意を引いた方がよい。ただ突っ込むのだと、仮に近づけても避けられてしまう。
少し後ろに下がってから助走をつけ、身長の二倍以上の高さほどまで飛ぶと膝を曲げた。その代わりのように、腕を目いっぱい伸ばして最初に地面につくのが腕になるようにする。銃口が鏡合わせになるように向けられた。左右への移動は難しいので怪我は防げないが、こちらは弾道がずれにくい。
肩や背中にかすらせる程度の場所を狙って打つと、所々マントが破けた。当たったところで力を抜いた状態で頭を横にして体を九十度回転させる。体の側面で着地する前にもう一度回転させて足が下になるようにした。綺麗に着地するとともに袖をつかみ、こちらに体を引き寄せる。力の強さがさっきと変わっておらず、一回でも大きく動かれると手を離してしまいそうだ。
今、相手の銃口はあはれの額の真ん中に当たっている。だが、その後ろでは浅茅が息を殺して直刀を鞘から抜き始めたところだった。