第百四十句
「神なんていないよ」
(なんだ、もう終わったのか?ここは……)
視界が明るくなったと思ったが、目に映る景色は夜空だった。誓が顔を覗き込んできたところではっとして勢いよく起き上がると周りを見渡す。さっきと変わらない森の奥だ。両手が拘束されているのに気づくと手足をじたばたさせた。その様子に誓が呆れたようにして人差し指をつきだすと、たちまち自由になる。
「……倒せたのか?」
「逃げられましたが、あの怪我なら当分は来ないと思いますね」
誓に目配せをしたところまでは覚えているがそれ以降はそれだけ頭をひねろうと出てこない。思い出すのに一生懸命になりながら、あることに気づいた。
「あの井戸に逃げたのか?」
「えぇ」
「なら、何でまだあそこにあるんだよ」
目の前にある井戸に逃げたというなら、それで終わりのはずだ。なのにまだ残っているのはおかしい。くらぶが意識を失ってからの数分あのままだったが、変化はなかったらしい。立ち上がって確かめようとすると、誓が食い気味に止めてきた。
「待ってください、まだ能力が解除されていないので暴走する可能性があります」
すっかり忘れていたと思い、手短に解除の和歌を唱える。
『昔はものを 思はざりけり』
「そういえば、拘束したあとにどうやって気絶させた?」
「気絶なんて人聞きの悪い。動きがある程度止まってからこう……頭をえいってしただけです」
(つまり力技ってことね)
妙に納得してから再び前を向き、井戸に一歩ずつ近づいていく。その前にはお決まりのように『かみさま』がついていった。井戸につき、少しだけ顔を下に向けた途端、水のように大量の影狼が溢れ出た。タイミングを見計らっていたとしか思えないそれらから一度下がって誓の隣まで行った。
全てを出しきったのか、井戸はいつの間にか消えている。呆れた顔をすると二人で武器を構えた。
「まったく、とんでもない置き土産をしてくれたな」
「さすがに勝負をしている暇は無さそうですね」
大剣を下ろしてくらぶの前へ出ると影狼と目線を合わせられるくらいの低姿勢になってから走り出した。向かい合わせになっている『かみさま』に時々目をやりながらそこへ飛び込んでいくように道を開ける。両手で持って右側に刃が後ろになるように持つ体勢を留め、時々大口を開けながら来る影狼たちを一刀両断した。スカートの裾を持ちあげることなく勇敢かつ華麗に進んでゆく彼には感心するほどだった。
誓の能力により『一時的に体の一部が石になる』罰を与えられ、重心をかけるところに苦戦していた。その状態とも闘いながら誓の後ろを狙ってくる影狼を、そのまたさらに後ろで撃っていたのがくらぶだ。注目があちらにいっている間に木の上へ身を潜めて出番を待っていたが、まさに適役だ。残弾は少なくないため、レバーと引き金の操作の繰り返しだ。
あらかじめ使わなくても良さそうな弾で小さく枠をつくった。踏まれたり蹴られたりしたときの何らかの反応を読み取れれば、後ろをとられることも逃げられることもない。くれぐれも変なところに当たらないことを注意しながら撃ち続けた。
(さすがですね。さて、こちらもどうしましょうか)
誓はあちらのやりたいことを理解しながら動き、なるべく負担をかけないようにした。遠距離ではあるが、影狼にとっては挟み撃ち状態だ。能力も問題なく起動しているためこちらの方が少しばかり優勢だろう。
剣につく赤黒い血をはらいながら向かってくる歯や爪を押さえた。動きは単純だがやはり問題は数。一振りしてから次までに間が空いてしまうこの武器では一度にどれくらい仕留められるかが命だ。なるべく規則正しく並んでほしいがそうはいかない。
能力で石になっている今はかなりのチャンスになっている。ふと、木の上で装填をしているくらぶと目が合う。いいことを思い付いたのだ。いつもの笑い顔に戻ると、鼻唄混じりに剣を担いで影狼に笑いかけた。