第百三十句
「別に嫌いなわけではないよ」
館に来て間もない頃に話しかけたのは目付きの悪く、大人っぽい凛々しさと優しさの両方を持ち合わせたような青年だった。名は「まだき」というらしい。なかなか話せずにいたが廊下で偶然あったので話しかけてみることにした。
『はじめまして、……もしかして、君って僕に負けた歌?』
ここに来てまずやったことは、身近にいる人を調べること。まだきは特に自分の主との関わりが深いとのことだったので、それについて話すためにこの言葉を選んだ。だが、どうしてだろう。何も話さない。表情も変わっていない。何か変なことを言ってしまっただろうか。
『あぁ、そうだな』
ようやく返してくれたと思ったらそれだけを言って自分の部屋に籠ってしまった。通りすがると毎回のように嗚咽しているのが聞こえる。
もう一度調べ直すと、ようやくその意味がわかった。彼は自分よりもあの出来事を重くとらえている。自分の基準で話してしまった。口を押さえる手と焦りが止まらない。
『僕は……僕、何でこんなこと……?』
それから数日経っていつも通りに戻ったようだが、目が合う度に見るのは決まって同じ表情だった。中で歯を食いしばっているであろう口の形に焦点が定まらない瞳孔。普段は自分の口が軽いことに気づかないが、それだけは本当に後悔していた。
後ろからの影に気づいて太刀を抜き取ると上半身をひねり、その勢いで振った。急いでいたので刃の向きを間違え、叩く形になってしまったが倒そうとしていたわけではないのでちょうどよい。仰向けになっていた者は右手で左腕を押さえている手を払い除け、素早く立ち上がった。
これでまた挟み撃ちの体勢だ。右側を見て少し離れた場所に木があるのを確認すると太刀を幹に向かって投げた。きれいに一直線で刺さったのを見ると顔を正面に戻して和歌を唱えた。
『忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は』
急に姿を消したと思うと、幹に刺さった太刀に乗っていた雀を見つけた。雀は柄から降りるとたちまち人へ形を変える。その姿はものやだった。
「いやぁ、飛んで移動できたらって思ったらいつのまにか雀になってたの。驚くよね」
ものやの句能力:自身の理想を叶える姿への変身
そう言って笑いながら太刀を引き抜くと幹を蹴りながら猫に変身した。柄を口に咥えると器用に銃弾を避ける。途中で太刀を離すと、止まることなく能力を解除して相変わらずの低姿勢で体が見える範囲を小さくしながら迫っていく。膝への負担が大きいが弾が当たるくらいならどうってことはない。
太刀を逆手に持ち、肩の上を通るように投げると一瞬にして兎へ姿を変える。二メートルは越えられるという圧倒的な飛躍力を信じ、足の裏にぐっと力をためて跳んだ。爽快なほどに風を感じ、あっという間に刀と並行した。空中で振り返り、刃の部分を持つと一度半回転させて柄を握った。左手でちょうどよい距離を取り、首根っこを掴みながら背中へ全体重をかけてうつ伏せに倒した。両手を、抵抗させないようにする。
もう一方も後ろから来たが、気配を察知し顔の真正面に来るように刃を向けた。これで抵抗はされまい。と、思っていた。予想外のことに、ものやの体重は乗るだけで人を押さえられるほどではなかった。仰向けの体勢にしようと体をひねった拍子に腰から落ちた。少しばかり、起き上がる時間が遅かったため動こうとする前に二つの銃口と目が合う。
これではどの姿に変身しようと見破られて終わりだ。動くこともままならない。ただ目を見開いていることしかできなくなっていると、何か動いていたものが止まった。それはこちらをずっと見ている。顔が向いたとき、ものやは思わず名前を言っていた。
「まだき……君?」
見せるのは決まっていつもの表情だ。一言も発せずに立ちすくんでいる彼を遮るように、二人の間には雨が降り始めた。
百人一魂の連載を初めて、今日で一年がたちました。早いですね。書き溜めもろくに終わっていないのに誕生日が近く、舞い上がってノリで投稿した一年前の自分が今でも憎いです。