第百二十九句
「彼は主人公だ」
背中にピリッと凍った空気が来たのを感じてしゃがむと、まだきは後ろに飛びかかってきた影狼を避けられた。冷や汗が頬を伝って地面に落ちると同時に能力を発動させると、地面に片手を強く当てた。多少の砂ぼこりが顔にかかりながらも周りの影狼は重くなった体を起こすのに苦戦していた。手にかけた力を影狼たちの背中に反映させることで動きを止めたのだ。
だがこれを続けていると片手が塞がり、弓矢が使えない。手のひらから徐々に力を緩めて行き、指先を離した瞬間に正面の木へ駆け込んだ。体が身軽になったのでさっきよりも速く追いかけられる。目前に来たときに弓と矢を紐で結ぶと枝に引っ掻けた。縄も頑丈で枝によく巻き付いてくれたので登るときはあまり焦らなかった。
木に群がる影狼を上から見つめ、上がれないことを知ると矢の残りを確認した。まだあまり使ってはおらず、可能なら再利用もできるので問題はないだろう。もう一度影狼の様子を見ようと思い下を覗くと、目を見開いた。
(人の姿!?)
先程出てきたばかりで人の姿を見ていないはずなのに、人型へと変身しているではないか。しかもそれはまだきの姿をコピーしたものではない。全員が黒いマントを着ている。最初は戸惑ったが、すぐに切り替えて矢を弓にかけた。
(これは確かに厄介だ。だが逆に、押さえることができれば素顔が見えるかもしれない)
この状況を逆にチャンスと捉えたまだきの手が動く。倒してしまったら元の姿に戻ってしまうので能力を使って押さえることにした。胸の前で手を握るとフードが押さえられた。さらにその手を上へあげると少しだけ宙に浮いた。離してもらおうと手足をじたばたさせているところに笑いそうになりながらも木から降りると右手でフードを後ろに引いた。
だが、そこには何もなかった。透明人間が着ているようだ。
(まさか、表面のマントしかコピーしなかったのか!)
あるいは、それしかできなかったのだろう。味方である影狼にすら姿を見せないとは相当用心深い。よく考えずに行動してしまったせいでまた間合いをとるのが難しくなってしまった。姿はそのままにふらふらと近づきながら近寄ってくるのに、足を引く以外なかった。
『はじめまして。……もしかして君って、僕に負けた歌?』
なぜ今こんなことを思い出すかはわからなかった。ものやは、いま自分の背中には間違いなく銃口が当てられていることを理解する。目的は先ほど自分のいった通り、「下手な動きをしたら撃つ」ということだろう。ここからどう動いても無傷は免れない。
しばらく考えた後、大きく息を吸ってからしゃがんだ。範囲の広い左側へ避けようとしゃがんだ状態のまま大股に挟み撃ちから抜け出した。その際に正面にいた者の足に刃を入れる。完全に斬るわけではない。ただ、いたずら程度に切り傷をつけただけだ。予想よりも深く切ってしまったか膝から崩れ落ちて脛を押さえていた。破れた裾の奥からは赤い血が見えた。
(……本当に人間なんだ)
戦闘中ということもあって口には出さなかったが、内心そんなに焦りを感じていなかった。近づくチャンスはできた。後はもう片方を動けなくするだけだ。銃口の動きを見て、そことは逆の位置へ体を移動させながら進んだ。
多少のタイミングのずれと銃口を引くタイミングを見逃さず、傷をつけることなく目の前まで来れた。膝と足の裏に力を溜め、正面の者の肩と思われる場所に手を置いて低姿勢から腹が見えるくらいに跳んだ。その時の衝動で体がよろめき、仰向けになって倒れた。刃を背中の後ろに持っていって大きく振りかぶるとその上に乗って顔の前で寸止めした。
刃先が地面につくように持ち変えると、左手で銃を持つ手を押さえる。これで顔が見られる状態になった。顔の真横に太刀を刺し、フードを勢いよく引っ張ったがそれと同時に後ろから大きな影ができていた。