第百二十六句
「この勝負、こちらの勝ちだ」
平兼盛と壬生忠見、この二人には歌に関する出来事があった。
天徳四年、村上天皇が主催した『天徳内裏歌合』にて、二人はそれぞれ恋という題で詠んだ歌で競った。両者は互角となり判定者は村上天皇を伺ったところ、兼盛の歌を多く呟いていた。この事から勝負は兼盛の勝ちに終わる。
それに対してあまりにショックを受けた忠見は、拒食病となり死んだという逸話がある。
そして、その競った歌こそが百人一首に採用された二首である。つまり、まだきは主同士だけでなく和歌としても敵視しているのだ。
「ねぇ、なんか話そうよ」
雨が降りそうな湿った森に入って数分、いままで足音しか聞こえなかった耳にものやの声が入ってきた。何を言われるかが怖くて一度足を止めたものの、置いていかれるのも違うと思ったので変わらず後ろをついていった。
「まだき君って、僕に負けた歌なんだよね」
「お前っ……」
案の定触れられてしまった。わかっている、これはわざと言ったことではない。思わず出しそうになった拳を押さえて話の続きを聞いた。
「博士の実験の内容、聞いてたでしょ?このまま無言で終わるのも違うなって思ったから。するならこういう話かなって」
「……そうか」
実験とは言えど、主の傷をえぐることは許されない。会話を続かせないようにそっけない対応をした。だがそこでめげる奴ではないことは知っている。その後もしつこいと言わんばかりに話しかけてこられたがすべて無視した。
前日は雨だったのだろうか。完全に固まりきってはいない土と植物から離れようとしない雫が所々に見える。いきなり遠吠えがしたのを聞いて、武器を構えてその場で止まった。ものやは大太刀、まだきは和弓だ。遠すぎるのか、場所が特定できない。道があったので二手に分かれようという話になり、二人はそれぞれ分かれた。
まだきは正直分かれるという提案に大賛成だった。少しでもものやと離れようとしたからだ。初めの頃からそうだ。目が合うだけで馬鹿にされているのではないかと心配になっては体調を崩し、部屋に引きこもることが何回あっただろうか。思い出すたびに胃が痛くなる。
心がフッと軽くなったところで前を見た。雲があって前がよく見えないが、絶対に動いている何かがある。和弓を構え、ずっと遠くを見つめた。この二メートルを超える和弓は構えるだけでも重く、やすやすと身長を越えているので細かい動きができない。矢を持って弦を強く引くと、慣れた様子で手を離した。まっすぐに飛んでいく矢は木に深く刺さった。約五百メートルは飛ぶのだから、この距離ならどうってことはない。
急いで刺さった木に駆け寄ると、ちょうど影狼の腹を貫いてから幹に刺さっていた。矢を引き抜くと傷口からパラパラと崩れ落ちていく。遠吠えをしていた影狼だろうか。そうだとしたらここに影狼たちが集まる。ベルトに付けてある矢のストックを一本出し、弓に付けて構えた。
まだきの姿が見えなくなっても、ものやは動かなかった。しばらく上を見つめてから木に飛び乗ると無作為に茂みの中を刺す。最初は何もなかったが、ちょうど真ん中を突き刺したくらいでいきなり刃先に重みがかかった。
「……やっぱり」
木から落ちた影狼は頭を強く打って気絶した。胸にある傷からちゃんと刺さったことがわかる。
遠吠えを聞いたときから分かっていた。遠くからというわけではなく、自分たちの近くで少し声を落としていうことで場所を分散させられる。
(……わざと引っ掛かったけど、まだき君って本当に忠実だなぁ)
自分は彼に嫌われているのだと、まだきと目が合ってから悟っていた。二手に分かれようと言ったとき、一気に周りの空気が明るくなったことを見逃すはずがない。
顔を下に向けたものやの後ろには、黒いフードを被った二人組がいた。