第百十七句
「それはいい歌だ」
すっかり荒れた部屋をそれっぽく修理し、男性たちに薬を渡す。ぽかんとしていたが、酒が何とかしてくれるだろうという宵の直感を信じた。そそくさと部屋から退散し、都の中を探索し始めた。
先ほど怒られて少し落ち込んでいるかたみをなだめながら歩くと正面にふらふらとこちらに向かってくる者がいた。手には酒瓶を持っている。
「おや、ここにも酔っている人がいるね」
宵はその男性の元へ駆けていった。それを小走りで追いかけていったかたみの目には、かすかに赤く光っているものが見えた。
「宵さん、ソイツはっ――」
突如男性は牙をむき出し、酒瓶をその場に落とすと粘土のように溶けて形を変えた。影狼だ。すぐに撃たれたので事なきを得たが、博士と電話をした時と同じ真剣な顔をし始めた。
「やっぱりそうでしたか」
「分かってたなら言ってください……」
急いで追いついたかたみは大きくため息をついた。だが、目線をたどるとその先には暗い森がある。はっとしてかたみも姿勢を正した。
「なるほど、影狼の出所を特定したかったんですか」
特に何も言わずに、その手前にある塀を飛び越えるとずかずかと森へ入っていった。一歩、一歩と踏み入れるごとに悪寒が走る。さっきまで熱帯夜だったはずなのに、とても不気味だ。しばらく行ってから急に止まると宵はポケットから何か取り出した。
手のひらの中には一回りほど小さな、トランシーバーのようなものが乗せられていた。かたみは頭の上にはてなマークを浮かべながらそれを見ている。
「あのぉ……これって?」
「これは、博士が開発した小型無線。最大で五キロメートル以内にいれば遠くにいても連絡できます」
一つ受け取り、右上にあるボタンを押すと軽くノイズのようなものが聞こえた。かたみもポケットにしまうと、人差し指を立てて数字の一を表すような手の形になった宵に顔を向けた。これは何かを説明し始めるときのポーズだ。
「僕の予想だと、この森はとても大きくてどこまでも続いている。だから二手に分かれた方がいい」
「そうっすね。噂の“井戸”があったら見たいですし、博士の言う『根本からの解決』は手っ取り早くした方がいいかと」
無線のテストも含めて、分かれて影狼を探すことにした。同時に後ろを振り返ると、真逆の方向に走っていった。
「あー、あー。宵さん、聞こえてますか?」
少し離れたところまで来ると、さっそく無線を起動させた。木の後ろに隠れているので見つかる可能性もないだろう。
『……』
宵の無線が起動した音がする。だが、何も話されなかった。
「宵さん?宵さん⁉」
(もしかして、戦っている最中……?)
だが、その心配をする前に聞きなじみのある声がした。
『ごめん、もう一回言って?』
必死に笑いをこらえた。多少荒い部分はあるものの、ちゃんと言葉は聞き取れる。博士は相変わらずすごい人だ。
もう一度言おうとしたとき、上から木の揺れる音がした。かたみがもたれかかっている木だ。風はないので影狼に違いないだろう。話しながらでもできると思ったが、その予想はひっくり返された。
自らの全体重をかけたような体勢で落ちてきたのだ。
「やばっ!」
無線に入るくらい大声で叫んでから右に体を回転させると起き上がった。避けられてしまった影狼は不服そうな顔をして逃げていく。宵は何か言っていたような気がしたが、今はそれどころではない。
「すいません!あとで言います!」
その言葉を残してから無線をポケットにしまうと、薙刀を担ぎながらその姿を追った。
一方、宵は相当急いでいる様子で無線を切ったかたみにため息をついた。その周りには影狼が数匹おり、すでに灰になりかけている。
「かたみったら、いつもこうだから困りますね」
無線をズボンのポケットに押し込んでまた銃を構える。他とは比較的軽いライフルを華麗に動かしながら撃っている後ろには、不穏な影が迫っていた。